保存整備
名勝二之丸庭園
日本最大の藩主の庭園を再び
二之丸庭園は、歴代藩主が公私にわたって過ごした二之丸御殿の北側に造られた庭園です。面積は約3万㎡に及び、藩主が居住した御殿の庭園としては日本一の規模を誇ります。変化に富む地形の中に、豪壮かつこまやかな意匠の施された回遊式庭園であり、全国でも6例しかないとされる「玉澗流(ぎょっかんりゅう)」の特徴をよく備え、名園として高く評価されてきました。
広大な庭園のうち北御庭と前庭は、昭和28年(1953)に愛知県下で初の名勝に指定。その後の発掘調査などにより、江戸時代後期の大規模な大名庭園として非常に価値ある遺構が地下に残されていることがわかり、2018年(平成30)にほぼ全域が名勝として追加指定されました。
江戸期と明治期の庭園が一体となって調和する二之丸庭園は、尾張藩の庭園文化を伝えるものであり、現在、計画的に修復整備を進めています。その指針となるのが、文政年間(1818-1830)に描かれた『御城御庭絵図(おしろおにわえず)』(名古屋市蓬左文庫蔵)です。
尾張藩十代藩主・斉朝(なりとも)の時代、二之丸庭園は現在の東庭園まで拡張され、茶屋を伴う庭園や園池(えんち)なども設けられて、もっとも隆盛を極めたものと考えられています。それを示す『御城御庭絵図』などの絵図資料と、発掘された遺構がよく一致することが明らかになりつつあり、保存整備・復元の参考にしています。
御城御庭絵図と遺構の比較
余芳(よほう)の復元整備
余芳は二之丸庭園北御庭園池の東に面して造営された御茶屋で、明治期に城外に移築された後、名古屋市に寄贈され、その解体部材を城内に保管しています。発掘調査で発見された遺構と史料をもとに、史実に忠実な復元が可能とされ、復元整備を予定しています。
修復工事の計画
<第1期>2013~2017
崩壊した石組や荒廃した樹木の修復、明治期に取り払われた権現山や栄螺山(さざえやま)の山並みの景観、北遠池の護岸周辺の石組を修理しました。
<第2期>2018~2022
北遠池の護岸や石造物の復元、解体し保管されている御茶屋「余芳」の復元をする予定です。
<第3期>2018~2023
芝生広場や南池のある東庭園など、名勝に追加指定された範囲を整備する予定です。