名古屋城について / 建築・構造
二之丸
藩主の住居と庭園からなる、広大な二之丸
名古屋城の中で、もっとも広大な敷地を誇る二之丸には、
かつて藩主の住居であり、政治の拠点でもあった二之丸御殿が建っていました。
名勝・二之丸庭園は、藩主が住んだ城内御殿の庭園として日本最大を誇ります。
尾張藩の「御城」と呼ばれた二之丸御殿
名古屋城二之丸の敷地は、本丸・西之丸・御深井丸を合わせたのとほぼ同じくらい広大です。この約3分の2が二之丸御殿でした。その規模は、本丸御殿の約3倍。かつては、初代藩主・義直の付家老である平岩親吉(ひらいわちかよし)の屋敷がありました。1617年(元和3)、同所に二之丸御殿が建てられます。1620年(元和6)に義直が住まいと政庁としての機能を本丸御殿から二之丸御殿へ移し、ここが尾張藩の政治の中心になりました。「御城」と人々から呼ばれていたといいます。
江戸時代を通して藩主の住まい、政庁として使われますが、1873年(明治6)に陸軍の鎮台設置にともない取り払われました。
時代を超えて美しさを放つ二之丸庭園
二之丸御殿の造営とともに御殿の北側に整備されたとされる二之丸庭園。18世紀はじめの享保年間(1716-1736年)に改修され、池や築山、茶室などが配置された中を巡る回遊式庭園になったとされます。十代藩主・斉朝によって再度大改修がなされ、現在の東庭園までの拡張、茶屋をともなう庭園や園池の設置などがされます。この時期のもっとも隆盛した庭園の様子を描いたのが「御城御庭絵図」(名古屋市蓬左文庫蔵)です。
明治期に二之丸御殿とともに庭園も取り払われ、跡地には兵舎が建てられました。ただし、庭の核心部であった北西部分は残り、その南に新たな前庭が整えられます。1953年(昭和28)、前庭を含めた二之丸庭園が名勝に指定されました。その後の調査で庭園跡が良好な状態で保存されていることも確認され、2018年(平成30)に庭園のほぼ全域が名勝の追加指定を受けています。藩主が居住した城内御殿の庭園として日本一の規模を誇っています。