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茶席

名古屋城内の茶席

御深井丸(おふけまる)の庭内、約2,000㎡の中に、由緒ある4つの茶席が設けられています。
それぞれの趣が異なり、風情あるしつらえが施されています。
※通常、一般公開はしておりません。お茶会のほか、結婚式などにも利用できますので、お問い合わせ下さい。

書院(しょいん)

書院(しょいん)の画像

十畳の書院を始め、八畳の次の間・五畳座敷などを含んだこの一棟はすべて故森川勘一郎氏の意匠で造営されました。名古屋城内にあった加藤清正手植えの老松が惜しくも枯れたため、その材を書院の台面・付書院(つけしょいん)・袋棚(ふくろだな)などに使用しています。
書院次の間の前廊下の長桁(ながけた)は、1928年(昭和3)、昭和天皇が即位の礼のため名古屋城(離宮)に立ち寄った際、旗竿として使用されたものです。

猿面望嶽茶席(さるめんぼうがくちゃせき)

猿面望嶽茶席(さるめんぼうがくちゃせき)の画像

猿面茶席

名古屋城築城の際、古田織部(1544-1615年)の意匠により、清須城の古材を利用して建築されたと伝わる、数奇屋四畳台目(すきやよじょうだいめ)の名席。茶席の床柱には2つの節目が並んでいますが、織田信長が清須城にいた頃、この節目が「猿の顔」に見えたため、木下藤吉郎(豊臣秀吉)に「汝の面の如し」といって戯れたと伝えられ、いつしか「猿面」と呼ばれるようになりました。
1620年(元和6)、本丸から二之丸に移築され、そこで明治維新を迎えます。
その後、1929年(昭和4)に鶴舞公園に移築され、1936年(昭和11)に国宝に指定されますが、残念ながら戦災で焼失。幸いにも焼失前に詳細に調査した図面が残されていたため、この図面をもとに昭和24年(1949)、名古屋城内に復元されました。

望嶽茶席

藤村庸軒(ふじむらようけん・1613-1699年)が京都市の金戒光明寺西翁院(こんかいこうみょうじさいおういん)に造営した「澱看(よどみ)の席」の写し。この位置からは御嶽(おんたけ)の山々を望むことができるため、「望嶽庵」と命名されました。

又隠茶席(ゆういんちゃせき)

又隠茶席(ゆういんちゃせき)の画像

千利休の孫・千宗旦(せんのそうたん・1578-1658年)が造営した「又隠(ゆういん)の席」の写し。安永年間(1772-1780年)に建てられたものを城内に移築しました。名の由来は、宗旦がまず「今日庵(こんにちあん)」を造営して隠居し、さらに四畳半の新席を造営して再びそこに隠居したことから「又隠(ゆういん)」と命名したとされています。

織部堂(おりべどう)

織部堂(おりべどう)の画像

織部焼の創始者であり、信長・秀吉・家康に仕えた茶人大名・古田織部(1544-1615年)。
織部は名古屋城の茶席造営にゆかりある人物で、その功績を顕彰するために1955年(昭和30)に建立されました。