観覧ガイド
茶席
名古屋城内の茶席
御深井丸(おふけまる)の庭内、約2,000㎡の中に、由緒ある4つの茶席が設けられています。
それぞれの趣が異なり、風情あるしつらえが施されています。
※通常、一般公開はしていません。お茶会のほか、結婚式などにも利用できますので、お問い合わせ下さい。
猿面望嶽茶席(さるめんぼうがくちゃせき)
猿面茶席
名古屋城築城の際、清須城から移築されたと伝わる数奇屋四畳台目(すきやよじょうだいめ)の名席。『金城温古録』では織田有楽斎の設計と推察されていますが、確証はありません。茶席の床柱に2つの節目が並んでいることから「猿面」の名が付けられていますが、江戸時代は「御数寄屋」と呼ばれていただけでした。明治維新後に民間に払い下げられた時に「猿面」の名が付けられたと思われます。
1620年(元和6)、本丸から二之丸に移築され、そこで明治維新を迎えます。
その後、1929年(昭和4)に鶴舞公園に移築され、1937年(昭和12)に国宝に指定されますが、残念ながら戦災で焼失。幸いにも焼失前に詳細に調査した図面が残されていたため、この図面をもとに1949年(昭和24)、名古屋城内に復元されました。
望嶽茶席
藤村庸軒(ふじむらようけん・1613-1699年)が京都市の金戒光明寺西翁院(こんかいこうみょうじさいおういん)に造営した「澱看(よどみ)の席」の写し。この位置からは御嶽(おんたけ)の山々を望むことができるため、「望嶽庵」と命名されました。
書院(しょいん)
十畳の書院を始め、八畳の次の間・五畳座敷などを含んだこの一棟はすべて森川如春庵(もりかわにょしゅんあん・1887-1980年)の意匠で造営されました。名古屋城内の清正松と名付けられた松が枯れたため、その材を書院の台面・付書院(つけしょいん)・袋棚(ふくろだな)などに使用しています。
書院次の間の前廊下の長桁(ながけた)は、1928年(昭和3)、昭和天皇が即位の礼のため名古屋城(離宮)に立ち寄った際、旗竿として使用された材を転用しました。
又隠茶席(ゆういんちゃせき)
千利休の孫・千宗旦(せんのそうたん・1578-1658年)が造営した「又隠(ゆういん)の席」の写し。知多半島の商家に安永年間(1772-1781年)に建てられた茶席を城内に移築しました。宗旦がまず「今日庵(こんにちあん)」を造営して隠居し、さらに四畳半の新席を造営して再びそこに隠居したことから「又隠(ゆういん)」と命名したとされています。
織部堂(おりべどう)
織部焼の創始者であり、信長・秀吉・家康に仕えた茶人大名・古田織部(ふるたおりべ・1544-1615年)。
織部は名古屋城の茶席造営にゆかりある人物で、その功績を顕彰するために1955年(昭和30)に建立されました。