保存整備 / 本丸御殿の復元

木曽の森

市民とともに森を育成

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木曽ヒノキ斧入れ行事
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市民の森づくり事業

本丸御殿の復元には、多くの木曽ヒノキが使われました。木肌が優美な木曽ヒノキは、古来より日本の木造建築文化を支えてきた名木です。
木曽(長野県木曽郡)・裏木曽(岐阜県中津川市加子母、付知、川上)は、かつて尾張徳川藩の領地で、木曽ヒノキなど森林資源の宝庫でした。しかし江戸初期、城下町建設に伴う膨大な木材需要により大量の木が伐採されるようになり、尾張藩では1665年(寛文5)より、森林資源保護を目的とした林政改革を実施。留山(とめやま)という制度では入山や木材伐採に制限を設け、ヒノキやサワラ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコ(木曽五木)は伐採も禁止しました。違反を犯した者には、「木一本、首一つ」といわれる厳しい取り締まりが行われました。
こうして木曽の人々によって守られてきた森林は次第に再生し、現在は樹齢300年以上の木が数多く育っています。
本丸御殿の復元事業では、これらの樹木を大量に使用するため、豊かな自然が未来へと続くよう、また木曽に住む人たちとの交流を深めるために2008年(平成20)から毎年、名古屋市民による「市民の森づくり事業」を進めてきました。長野県木曽郡木曽町木曽駒山麗戸立と岐阜県中津川市加子母福崎の森に、10年間で1万本以上のヒノキや花、果実、広葉樹を植樹し、未来の森を育てています。