名古屋城について / 名古屋城の歴史

現代

城郭として初の旧国宝指定

昭和になると名古屋城は宮内省から名古屋市に下賜され、城郭として初めての国宝に。
市民にも公開され、名古屋のシンボルとなりましたが、戦災で失われます。
その後、鉄骨鉄筋コンクリート造の天守閣(閉館中)を再建し、現在は本丸御殿も復元されました。

名古屋城を見に訪れた観覧者の画像
名古屋城を見に訪れた観覧者

1930年(昭和5)、宮内省から名古屋市へ名古屋離宮が下賜され、本丸・西之丸・御深井丸(おふけまる)が市の所管となりました。さらに、前年に施行された国宝保存法によって、天守・本丸御殿など場内の24棟の建物が城郭としてはじめて旧国宝に指定されました。1931年(昭和6)に名古屋城の一般公開が始まり、名城公園北園も開園。名古屋城は、市民に親しまれるまちのシンボルになっていきました。

1932年(昭和7)に本丸・二之丸・御深井丸など約4万4千坪が史跡指定され、名古屋市は旧国宝建造物24棟の実測調査を開始しました。1940年(昭和15)からの写真撮影で残された700枚以上のガラス乾板は、かつての名古屋城の姿を伝える貴重な史料です。また、同年に名古屋城のカヤが天然記念物に指定。1942年(昭和17)には、旧本丸御殿障壁画345面附16面が旧国宝に指定されています。

戦災で失われた名古屋城を再び

再建中の天守閣(ハザマ提供)の画像
再建中の天守閣(ハザマ提供)

1945年(昭和20)5月14日の朝、空襲警報が鳴り響き、アメリカ軍の爆撃機B29が名古屋市北部に無数の焼夷弾を投下。1時間以上におよぶ爆撃で名古屋は火の海になりました。名古屋城では、天守、本丸御殿などを主要な建造物が焼失。金鯱を避難させるために組まれていた足場に焼夷弾が引っかかり、そこから上がった火炎が城全体を火だるま状態にしたとされます。東南隅櫓、西南隅櫓、本丸表二之門、二之丸の二之丸東二之門、二之丸大手二之門、御深井丸の西北隅櫓の6棟は辛うじて戦災を免れました。

戦後、焼けた石垣だけが残る景色になったものの、1946年(昭和21)には一般公開を再開。残された建造物や旧本丸御殿障壁画などは、重要文化財の指定を受けました。
名古屋城再建を願う声は市民からも高まり、1955年(昭和30)に名古屋市は名古屋城再建準備委員会を立ち上げ、地質調査や費用捻出を検討し始めます。再建にあたっては、市民をはじめ、国内外から多くの募金が寄せられました。
こうして1957年(昭和32)、天守閣再建に着工。1959年(昭和34)、まちの節目でもある市政70周年記念事業として、大天守・小天守・正門(榎多門)が鉄骨鉄筋コンクリート造で再建されました。

その後、2009年(平成21)、戦争で失われた本丸御殿の復元整備が始まります。建物は焼けてしまいましたが、障壁画などの美術工芸品や戦前の写真、実測図などが残されているため、忠実な復元が可能でした。2013年(平成25)の玄関・表書院の公開、2016年(平成28)の対面所・下御膳所の公開を経て、2018年(平成30)に完成公開を迎えました。柱、屋根、障壁画、細部の装飾に至るまで、匠の技によってかつての姿そのままに復元されています。