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講演(「芝居町の時代」)

 世界のまちづくりデザインの方向は、200年前に起こったリスボン大地震をきっかけとして、転機を迎えたといわれている。リスボン大地震により多くのまちや人が亡くなり、自分たちの力で災害で倒れにくい、また燃えにくい建築物を建て、災害に強いまちをつくることが始まった。また、1871年のシカゴ大火災が、そうした強いまちづくりを加速させている。
 さらに、記憶に新しい3・11は大きな転機となった。まちは、場所、コミュニティとつながって強くなっていくものである。また、場所は、歴史ともつながっていくことが必要である。私は、こうした関係にあるまちを「芝居町」と呼んでいる。「芝居町」は、歴史や場所とつながったまちとして捉えることができる。
 昔は生活が里山と一体となっていた。そもそも、里山とつながっていなければ農業も成立せず、まして生活もなりたたない。そうした関係を大切にしようと、里山周辺には神社が建てられた。里山周辺には、自然や歴史を大切にし、それらを地域のコミュニティがつなぎとめ、大切に守っていく関係が形成されていた。
 日本は山を大切にしている。建築物を建てる際、資材を地元で調達することでCO2の排出量が軽減される。建築物の建築において、エネルギー計算を行うことも重要である。建築物に木材を使うとCO2を固定することになり、木材を多用している名古屋城本丸御殿はそれが顕署である。少なからず地球温暖化対策としても役立っている。
 そうした中、現在、竹を用いた試みを行っている。竹は木材に比べて成長が早く、CO2を早く固定する効果がある。中国の万里の長城の近くにあるホテルで、「竹の家」を作った。中国の若者は、昔のものを好む傾向もある。中国と日本の双方に共通する文化である茶(茶室)をイメージして作ったものが、地元中国でも好評となり、北京五輪のCMに使われた。
 梼原(ゆすはら)の町で、木造で、屋根をのせた橋を作った。屋根の下は、美術館ギャラリーとし、橋でありながら皆が大勢集まる美術館としている。また宿泊もできる施設である。
 来訪者に茶をもてなす場所(小屋)が地域に残っている。これらのもてなしの場は、他地域と隔絶された山あいでは、情報収集の場となっている。こうした場所と文化を現代の形式に当てはめたものが、茅葺を外壁に用いた町営のホテルである。茅葺をつくる職人が減る中、今回の作業を行っている。茅葺は断熱性能がよい資材である。建物1階は、朝市(マルシェ)を開催できる場となっており、地域内外の大勢の人たちが利用し、にぎわっている。
 大宰府のスターバックスは、木の骨組みを用いたものである。スターバックスは、年間3000店舗の設計を行う人材を抱えている。全てが標準設計である。こうした状況であるため、木の骨組みを作る今回の設計に対してスターバックスは当初難色を示したが、説得し、了解を得て作成した。日本の大工だからこそ実現できたものである。日本の大工の技は世界一であると思う。こうした取組みがイギリスの新聞でも取り上げられ、紹介された。今では、スターバックスも特別な場所であれば、こうした取組みも行っていくこととしている。
 今、自然や歴史を大切にする時代が来ている。浅草の雷門前にある文化観光センターは、浅草のまちなみに見られる木造平屋のイメージを複層的に積み上げ、屋根をのせたヒューマンスケールを大切にした建築物である。屋根勾配や軒の出等を効果的に組み合わせてつくったもので、寄席や喫茶、休憩所等を内包している。外装は不燃加工をしている木材を用いて、周囲の浅草のイメージとの調和を図っている。最上階のテラスは浅草寺の仲見世を眺めることができる場所である。
 長岡城跡に計画した長岡市役所は、駅前ににぎわいを呼びよこす仕掛けとなっている。市役所は市の「玄関」ではなく、「土間」とするアイデアを出した。地元の素材である「土」を用いた計画である。「土間」は、まちの土間となり、大勢の人が集まる場となった。時には、子供たちが宿題をしたり、またお年寄りが集まり、歓談する場となった。「土間」には、屋根をかけて雨や雪が降る時にも利用できる空間としている。ある意味、「芝居町」である。「土間」には、コンビニエンスストアとハンバーガー屋の、わずかな飲食物販店のみを入れ、市役所から周辺の店舗に人の流れができるようにしている。施設内は、閉鎖的な空間とするのではなく、大きな窓や扉を設けて、時にはそれを解放し、「土間」空間と会議室を一体的に利用した音楽会を開催することもある。
 施設はつくっただけでなく、利用を仕掛けていくことが必要である。施設運営はNPO団体が行っている。施設の予約はすでにいっぱいである。
 市役所においては、通常は最上階に議場を設けるものであるが、ここでは1階に設けた。当初反対もあったが、説明し、納得してもらった。また、施設内の椅子やカウンター等の調度品も、地元の材料や技法等を用いている。
 東京の歌舞伎座はこれまでに4回改装されている。昭和26年に行われた改装が皆の記憶に残り、なじみ深いものであると思う。今回の改装は、“歌舞伎座をつくる”のではく、周囲を含めた「芝居町」を作ることとした。昔の「歌舞伎の楽しみ方」は、単に芝居を見に行くだけではなく、劇場前の雰囲気や周辺に大勢いた大道芸人、また様々な飲食店など、まち全体の雰囲気を楽しみに行くことであった。芝居だけではなかったのである。今回の改装は、これらの雰囲気を呼び起こそうというものである。
 隣接する地下鉄の出入口を併せて整備する場合、歌舞伎座の入口に地下で直結し、行き来しやすくすることが通常である。しかし、「芝居町」をつくるということは、地下から、一度地上に出て、歌舞伎座の正面入口から入るようにすることである。来訪者をわざわざ地上にあげて、広場を通らせる。広場に面しては、奥まって設けられていたお稲荷さんを前面まで移動させ、皆から見えるようにした。芝居を行っていない時には、建物の通り側の扉を開放し、通りから直接建物内に入れるようにしている。また日本庭園やカフェ、歌舞伎美術館を設けたり、芝居が無料でのぞき見ることができる小穴を設けてみたり、各所で様々な仕掛けを行っている。
 こうした取組みにより、歌舞伎座からまちに人を溢れさせることで、歌舞伎座周辺がにぎわい、銀座の着物の売上が上がったという話も聞く。建物の中だけで完結しない考えを持って取り組むことが「芝居町」である。
 日本だけでなく、世界でも歴史とまちをつなげることが行われている。フランスのブザンソンでは川沿いの建物を利用して回遊性を作り出している。マルセイユの文化センターでは、市民のための開かれたスペースを設けている。プロバンスの音楽学校は、市民が入れる学校として開放的なスペースを設けている。また、スペインのグラナダのオペラ座は、国と市のプロジェクトとして、公園整備と一体的に取り組み、観光の拠点とした。スコットランドの美術館では、川の中を一部埋め立てて、水と接する空間を設けたものである。劇場ではないものの、建物内部の一部を大勢の人が集まる空間として劇場的に利用することが設計のプレゼンテーションで好評を得た。
 世界の人が求めているのは、「芝居町」的なものであり、その場所の歴史を思い起こさせるものである。歴史や場所とつながったまちが、強いコミュニティを作り、「芝居町」を形成する。
 「世界の金シャチ横丁(仮称)」が、こうした「芝居町」を形成していく、世界のリーディングプロジェクトになるのではないかと思う。

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