お城note

令和の石垣積直し

名古屋城本丸の東側に位置する、石垣の修復工事が進められています。2004年から解体が行われ、調査・分析を経て、2023年から本格的に積直しがスタートしました。すでに20年の歳月がかけられている、名古屋城内でも指折りの一大プロジェクトです。

2024316日、17日に、この石垣修復工事の市民説明会が開催されました。積直しの現場を間近に見て、石割り、墨書きなども体験できるプログラムです。316日午前の回の模様をレポートします。定員40名に対して約5倍のご応募があり、幅広い年代の方が参加。小さなお子さんを連れた親子での参加者さんもたくさんいらっしゃいました。

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搦手馬出石垣修復工事の経緯を学ぶ

まずは、本丸御殿孔雀之間にて、名古屋城調査研究センターの学芸員から、名古屋城の石垣の特徴、搦手馬出(からめてうまだし)の修復工事の概要などの説明がされました。"搦手"が本丸の裏口であり、"馬出"とは兵や馬を隠しておく場所だったこと。大きな石(築石-つきいし-)、小さな石(栗石-ぐりいし-)、土(盛土-もりど-)でできている石垣の三層構造について。野面積(のづらづみ)、打込接(うちこみはぎ)、切込接(きりこみはぎ)など、石の積み方の種類。江戸時代、各地の大名20名によってつくられた石垣の特徴。こうした、名古屋城の石垣を見る上で基本となる知識を教わりました。

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続けて、搦手馬出の石垣修復の話題へ。そもそもなぜ石を積み直しているのか。発端は、石垣の一部が長い年月をかけて膨らんできてしまい、いつ崩れるか分からない危険な状態になったことでした。崩壊を避けるため、2002年頃に修復事業が立ち上がり、記録、解体、調査を経て、積直しに至っています。解体された石垣の石は、本丸周辺の堀をはじめ、城内各所に並べられており、その様子も普段から見られます。

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発掘調査によって、石垣が膨らんだ原因も究明されました。搦手馬出の石垣は、もともと軟弱な地盤のうえにあることに加え、1682年に一度修復されたときに、1610年の築城当初の部分との境目ができてしまい、そこを通った水が前の石(築石-つきいし-)を押し出してしまったと考えられているそうです。
さらに、積まれていた石の種類、石に残された刻印や墨書きについても調査がされました。大名の家紋が刻まれていたり、漢数字が墨で書かれていたり。数百年前の記録が今も残されています。解体された石の数は約4,000個。基本的には、もとからあったものを使いますが、なかには割れてしまっていたものも。その場合、形を似せた新たな石をつくり、積んでいきます。

江戸時代の石割りの技を体験

座学を終え、次は石垣修復工事の現場へ。遠巻きに見ることはできますが、なかなか立ち入れない場所です。目の前に今まさに積み直されている石垣が。現在、4段、5段程度まで進んでおり、最終的には24段で約13mになると説明されました。完成予定は2027年。これだけ大規模な城郭の石垣修復工事は、地震など災害での崩落以外では、全国的にも滅多にないものだといいます。

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ここでは、参加者のみなさんに、石割技術を体験してもらいました。指導してくださったのは、石垣修復を主導する和田石材建設の石工さんたち。巨大な石を割って、欲しいサイズにする石割りは、石垣修復で欠かせない技術です。その方法や使用する道具は、江戸から現在にかけて変化しています。今回は、江戸時代に用いられていたやり方で、石に"矢"と呼ばれるものを打ち込む"矢穴"を掘る工程に挑戦しました。

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穴を掘りたい場所に鉄ののみを当てて、金槌でカンカンと叩きます。シンプルな作業ですが、石を削るのは簡単ではなさそう。江戸時代の矢穴は、現在と比べると深く大きなもの。ひとつの穴に1時間程度かかるといいます。体験した小学生は、「のみを当てるのが難しかった。でも思ったより道具が軽くて、石が削れるのも感じられました」と話してくれました。みなさん、伝統的な工法がどのようなものか実感できたようです。その後、石工さんによる石割りの実演も。大きな石にヒビが入った瞬間は歓声が湧きました。

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「令和六年三月」の墨書き

その後、抽選で選ばれた方には、石への墨書きをしてもらいました。書く文字は「令和六年三月」。「令和」「六年」「三月」に分けて、3組の参加者さんが順番に筆を入れます。ちょっと緊張した面持ちをしつつもみなさん嬉しそう。今も石に残る300年前、400年前の墨書き。もしも、これから数百年先に積直しが行われたら、この市民説明会の日が思い出されるのかもしれません。石垣を通して、過去や未来とつながれるのもロマンがあるのではないでしょうか。
墨書きをされた方からは「とても貴重な機会をいただけた」「お城が好きでいい思い出ができた」といった喜ぶ声が聞かれました。

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熟練の石工の技でよみがえる

こうした市民説明会は、今後も開催される予定です。積直しは、1日に多くて6個のペースで慎重かつ丁寧に進められています。石工として50年の実績があり、数々の城郭の石垣修復に関わってきた和田石材建設の和田さんは、搦手馬出の石垣ならではの積直しの難しさについて話してくださいました。
「築城当初の石垣が下に残った状態で、その上にかつて修復した際の石が積まれていました。以前の積直しも大変だっただろうが、きっと石を削るなどして調整していたはず。今は、石垣の石は文化財としてとても貴重なものであり、使える石はなるべく削らずにそのまま積み直すのが基本なので、それゆえの難しさもあります。いくつか積んでは、上段のすわりがしっくりいかず、もう一回下段もやり直しということも少なくありません。手強いですね」。

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GPSが発達し、さまざまなデータをもとに石を積む位置の数値も示されますが、それだけで機械的に判断することはできないそうです。かつての石垣の姿や、それをつくり上げた人たちの考えや技術のイメージを膨らませながら、ひとつずつ石を積んでいく。この説明会は、熟練した職人の仕事も垣間見える機会にもなると思います。和田さんは、「江戸時代の伝統的な技法にもぜひふれてもらいたい」と微笑みます。

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まだまだ数年かけて続く石垣修復。名古屋城内の二之丸庭園の北西の位置からは、積直し工事の様子をご覧いただくことができます。

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名古屋城にお越しの際は、ぜひ見学してみてください。

Text:Yuta Kobayashi Photo:Takayuki Imai