お城note

400年前の美意識を鮮明に再現する復元模写

2018年に完成公開された名古屋城本丸御殿。一歩足を踏み入れると、絢爛豪華という言葉がふさわしいきらびやかな空間が広がります。ですが実は、現在私たちが目にしている本丸御殿の姿は、本当の意味での「完成形」ではないのです。襖絵や杉戸絵、天井板絵といった障壁画(しょうへきが)は、今もなお復元模写の制作が行われています。復元模写事業のあらましや、復元模写にかける思いを、制作者の皆さんにうかがいました。

美の復活を熱望する人たちの声をきっかけに始まった
復元模写事業


「復元模写」とは、制作当時の原画の姿を忠実に再現する絵画作品です。本丸御殿の障壁画は、すべて復元模写によって制作されたもの。建物に限らず、どこをとっても完成当時の姿が忠実に再現されています。
ただ、壁や天井に目をやると、絵が入っていない空白部分がちらほら。空白部分に収める障壁画は今まさに制作が進んでいるところです。

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狩野探幽をはじめとする「狩野派」の絵師たちが手がけた障壁画は、時代の変遷に伴う作風の変化なども反映されていることから、美術史料としても非常に価値があると高く評価されていました。しかし、名古屋大空襲によって約4割が焼失。多くの作品の焼失は美術研究領域、そして市井の人々にとっても痛ましい出来事でした。
時を経て1992年、障壁画の復元事業がスタートしました。本丸御殿の建築復元の計画が立ち上がる、もっと以前のことです。はじめに復元されたのは、来訪者を迎える玄関・一之間の「竹林豹虎(ちくりんひょうこ)図」。復元模写制作者・加藤純子先生が制作しました。

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「名古屋城本丸御殿障壁画復元模写制作共同体」の一員として復元模写制作に携わる加藤先生は、過去に重要文化財・松島瑞巌寺障壁画の復元模写に従事していました。加藤先生によると、「当時は"復元模写"は目新しく公共事業としては初めての事例でしたが、これを名古屋市がご覧になり、"我が名古屋市も復元を"とのご依頼となりました。従って瑞巌寺の事例を下敷きに本丸御殿復元模写をスタートできたのは有利なことでした。両者は描かれた時代も似ており、技術面でも共通点が多いのですが、大きな相違点もあり、美術史的に極めて興味深いものです。空襲による焼失は正に痛恨事であり、『なんとかして復元したい』との熱意が、戦後に長い年月受け継がれていました。それら先人の方々の熱意なくして、復元模写事業の実現はかなわなかったと思います」。

原画や資料を通して、400年前の制作者と"対話"を重ねる

2024年現在、「名古屋城本丸御殿障壁画復元模写制作共同体」には加藤先生と、愛知県立芸術大学日本画科卒業生8人が参加しています。ひとつの作品を完成させるのにかかる期間は1年間。分業制が取られていたとされる当時と異なり、すべての工程を1人で担当しています。表現を追究するために、時には筆などの道具を自作することも。加藤先生は「皆さんとても器用で、素晴らしい技術と感性を持つ人たち」と太鼓判を押すほど、絶大な信頼を寄せています。

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制作者のひとりで大学時代から模写を学んできた菊池円さんは、「絵の持つ雰囲気、受ける印象が大事」と、復元模写制作にあたって過去に作成したサンプルを手に語ります。サンプルには、どんな印象を受けたのか、絵の具の成分はどんなものなのかなどのコメントが事細かに記されています。

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復元模写に際して原画が残っている場合、原画を間近で観察する「熟覧」が行われます。熟覧の機会は1作品につき4回ほど。「最初の熟覧では、オーラに圧倒されてしまうものです。ただ、原画から得た感動は大事にしつつ冷静さも保ちながら、筆の運び方や形の取り方、絵の具の原料、重ね方などもきちんと検証して、制作に反映させてゆきます」。

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一方、タブレット端末に表示した古写真をつぶさに観察しながら転写を進めるのは、塚本敏清さん。「タブレットを使うと拡大もしやすくて細かなところまで見えすぎてしまうくらい。全体感を損なわないように気をつけながら、細部にも気を配っています」。

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名古屋城に残る写真資料は、記録された時代を踏まえると状態が良いとされていますが、中にはピントがぼやけていたり、そもそも正面から撮られていなかったり、欄間の透かしが重なってしまっていたりするものも少なくありません。そのため復元に際して、パソコンで画像加工などを行って参考とすることもあるそうです。
欄間の透かしと重なってしまって、全体が把握できない場合は、隣り合う襖絵などを参考にして、正面から見たときにどうなっていたか、隠れている部分に何が描かれていたのかを制作者になりきって想像すると、塚本さんは言います。「もちろん極力、自分の色は出さないようにしつつね。でもどうやったって『自分ならこうする』って思いは、出ちゃいますから。原画に忠実に、かといってこだわりすぎず、想像力を働かせるのが大事なんです」。

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髙坂隆介さんは、加藤先生が「砂子切り(金箔を細かく刻む技法)の名手」と絶賛するほどの技術の持ち主。大学時代から古典技術を中心に学び、模写の道に進んだ髙坂さん。砂子切りの技術は、先輩の指導や技法書を参考に磨いていったといいます。

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「砂子を見ると、当時の職人さんは、高い技術で素早く金箔を切っていたことがある程度わかります」と髙坂さん。砂子切りの研鑽を積んできたことで培われた観察力に驚かされます。「下手に切ると、切りくずのようなものが混ざることがあって。そういったものを出さないようにするのを意識して、当時の職人に近づいていく感覚を覚えながら制作しています」。

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そう落ち着いた口ぶりで語る髙坂さん。現在担当する杉戸絵の制作中、丁寧に鉄筆を走らせ、転写を進めていました。何度も何度も見比べながら、1本ずつ丁寧に。「線の力強さや筆の勢いを想像しながら転写しています。だから、墨線を入れるときもちゃんと思い出せるんです。大事な工程です」。

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淡々と手を動かす姿はとても静かで、呼吸を忘れるほどの研ぎ澄まされた集中力がにじんでいます。制作者の皆さんが復元模写に向き合う姿は、「心血を注ぐ」という言葉がぴったりだと感じました
「当時の描き手が思いを込めて、それこそ死にものぐるいで描いたものですから、今見ても感動できるのです。だからそれを再現する私たちも、死にものぐるいなんです」と加藤先生。復元模写にかける思いについて、「自分が受け止めた『400年前の美のありよう』を極限まで想像し、次の100年、200年先までお伝えするために力を尽くしています」と続けます。

お殿さまが目にした美しさを、次の時代にも残していくために

復元模写事業が始まって30年余り。メンバーの入れ替わりなどを重ねつつ、ひとつの「共同体」として互いに高め合いながら、ひとりひとりの制作者が復元模写に取り組んできました。
どのような力、スピードで筆が運ばれていたのか、描写を重ねていったのか。原画写真や当時の制作者がどんなふうに作品を描いていたのか、転写紙などと何度も何度も見比べ、とことん想像して忠実に表現する。一朝一夕で体現できるものではありません。加藤先生は「何十年もの歳月を重ねられたからこそ、現在のレベルを築き上げられたと思っています」と目を細めます。

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最後に、加藤先生に本丸御殿の楽しみ方をお聞きしました。「権威の象徴とされる絢爛豪華がありながらも、大前提として本丸御殿はお殿さまの目を喜ばせるためのものであり、『癒し』の要素を備えていたと思います。お殿さまは、それぞれに作品を見て、しみじみとくつろぎ、癒されていたのでは。そんなふうに、お殿さまの気分を想像しながら、ご覧いただきたいですね」。

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すべての障壁画の復元模写は、2030年ごろに完成する見込みとのこと。「天井を見上げたところにずらっと絵が入ったら、格別の感動が得られるのではと思います。私たちもそれを楽しみにしています」と笑顔を見せる加藤先生と、制作者の皆さんたち。すべての障壁画がそろった様子を想像しながら、お殿さま気分で本丸御殿を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

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Text&Photo:Hidemi Ito

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名古屋城本丸御殿・玄関・一之間「竹林豹虎図」

本丸御殿といえば、皆さん虎の絵を思い浮かべるのでは? 「竹林豹虎図」が飾られる一之間は通称「虎之間」と呼ばれたそうで、華やかな金地を背景に、虎と豹が躍動的に描かれています。本丸御殿は、部屋ごとにテーマが設定されていて、パノラマ絵画のように楽しめる仕立てとなっています。襖絵や杉戸絵を1点1点じっくりと楽しむのもいいですが、廊下から見て三方にそれぞれどんな絵が描かれているのか、ぐるりと見渡すように鑑賞してみると、また違った印象を覚えるかもしれません。