お城note

名古屋東照宮の天井画特別拝観も!城下町歩きで本町通に残る歴史を再発見

春爛漫の季節にさまざまなイベントを開催した「名古屋城春まつり2022」。東海エリアの魅力を体験プログラムとして届ける「大ナゴヤツアーズ」とのコラボ企画では、お城を飛び出して城下町へ!名古屋のまちづくりのルーツや近世から近代にかけての変遷をたどる、3時間のまち歩きツアーに出かけました。

今も残る、碁盤割の町人地

「尾張名古屋は城でもつ」という言葉があるように、江戸時代から名古屋の繁栄のシンボルだった名古屋城。徳川家康が城を築き、清須から町ぐるみの引越し「清須越」を行ったことで広大な城下町ができあがり、今につながる経済発展を支えてきました。

三之丸の南側に広がるのは、碁盤の目のように整然と区画された「碁盤割」の町人地。家康がつくった約400年前の町割りは、現代まで引き継がれています。「名古屋のまちの原型をつくったのは家康だった」と言っても過言ではないはず。

名古屋城から本町通を南下しながら、このエリアがどのように発展していったのか探ってみましょう。

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案内してくれるのは、元・名古屋市蓬左文庫 調査研究員の松村冬樹さん。名古屋の歴史家として幅広く活躍する、頼もしいガイドさんです。

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ツアーは名古屋城の正門からスタート。

現在の正門がある場所にはかつて、濃尾地震によって大破してしまった「榎多門」がありました。宮内省が所管していた時代に、旧江戸城の蓮池門を移築して正門が建てられたのです。

「正門だけでなく、その周辺の昔の姿も少し振り返ってみましょう」と松村さん。

榎多門の前には、名古屋東照宮や亀尾天王社(現在の那古野神社)と並んで歴代将軍の「御霊屋(おたまや)」があったといいます。御霊屋とは、先祖や貴人の霊を祀る建物のことで、仏壇に近い役割のものなのだとか。

「このあと訪れる場所で、現存する御霊屋も見ることができますよ」という言葉に好奇心を膨らませながら、歩を進めます。

名古屋東照宮の本殿は、どこからやってきた?

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到着したのは、先の解説でも名前の挙がった「名古屋東照宮」。元和5(1619)年、尾張藩の初代藩主・徳川義直が、父である家康を御祭神として名古屋城三の丸に創建した神社です。

明治9(1876)年には現在の場所に移転。戦災によって本殿を含む主要建造物が焼失してしまいましたが、昭和28(1953)年に尾張徳川家菩提寺の建中寺より、義直の正室だった高原院(春姫)の御霊屋を移築して本殿としました。ちなみに、この御霊屋は建中寺以前には大須の万松寺にあったのだそう。

「名古屋東照宮に参拝したことはあったけれど、本殿が義直の妻・春姫の御霊屋だとは知らなかった!」と参加者さんからは驚きの声も。

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そんなお話を聞きながら、今回は特別に本殿に上がらせていただきました。貴重な体験に身が引き締まります。

極彩色の天井画を特別拝観!

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本殿の天井を見上げると、極彩色で描かれた天井画が。狩野派の絵師の作品とのことで、普段はお目にかかれない美しさに、思わず見入ってしまいます。

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境内の石畳には、名古屋城の石垣に使われるためにあった石が使われていて、石垣に残る「井」のマークがこの石畳にもいくつかあるのだとか。

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続いて、名古屋東照宮のお隣にある「那古野神社」へ。那古野神社も創建当初は名古屋城三の丸に置かれていましたが、名古屋東照宮と同じく明治9(1876)年に移転したそうです。

まち歩きのおみやげに両口屋是清の柏餅を

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さて、ここからは碁盤割の町を散策。碁盤割の道は、東西は「筋」、南北は「通り」と呼ばれています。名古屋城に近い本町通付近には、尾張徳川家の呉服調達をしていた茶屋新四郎の邸宅や、現在の松坂屋のルーツである「いとう呉服店」が店を連ねていたのだそう。

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道中では、和菓子処「両口屋是清 本町店」に立ち寄り。寛永11(1634)年に創業し、尾張藩の御菓子御用を務めたことで知られる老舗店です。

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端午の節句を間近に控えていたことから、参加者のみなさんには柏餅をおみやげに。両口屋是清の柏餅にはういろうの生地が使われているそうで、つるっとした食感が引き立ちます。

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錦方面へと進み、名古屋の三大天神社のひとつ「桜天神社」へ。創建当時、この場所は万松寺の境内だったそうですが、名古屋城築城の際に万松寺が大須に移った後も、桜天神社はそのまま残されたといいます。

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伝馬町本町交差点付近には、荷物の運搬に必要な馬の取次所である「伝馬会所」があったそうです。交差点の東南角には、法度・掟書などを記した札を掲げる高札場も設けられ、この場所を「札の辻」とも呼んだのだとか。

「袋町お聖天」の周辺には何があった?

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まだまだ先へ進みます!ビルの合間に現れたのは「福生院」。愛知郡中村から移転してきた寺院で、お聖天様(=ヒンドゥー教のガネーシャが起源と言われる「大聖歓喜天」)を御本尊としています。

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お聖天様のシンボルは大根と巾着袋。境内の至るところにそのモチーフが散りばめられていました。福生院は袋町通にあることから「袋町お聖天」と呼ばれているそうですが、「巾着袋」と「袋町」の"袋"の重なりは偶然なのか...由来の謎にも想像が掻き立てられます。

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本町通沿いのオフィスビルの前で、少し立ち止まって松村さんが解説。「このあたりには、尾張藩の筆頭の薬屋『小見山宗法店』や、名古屋を代表する版元『永楽屋東四郎』の書店などがあったんです。永楽屋は北斎漫画を刊行していたことでよく知られていましたね」

普段何気なく歩いていたまちの風景も、昔の様子を思い浮かべながら眺めると、先人たちの歴史や物語を感じられます。

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広小路に突き当たるとさらにビルや商業施設が多くなり、都会的な雰囲気に。

現在、三菱UFJ銀行名古屋ビルが建つ場所には幕末に創業した「中村呉服店」が、超高層ビルの広小路クロスタワーが建つ場所には黄金掛引秤を製造した「守隨秤座」という商店があったのだそう。「ちなみに、守隨秤座は今も別の場所で『守隨本店』という会社名で営業していますね」と松村さん。

名古屋のメインストリート、広小路のにぎわいの起点へ

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栄駅方面に近づき、最後に訪れたのは「朝日神社」。慶長16(1611)年に清須の朝日村から移築遷座され、かつては広小路の中心としてたいへんにぎわった場所です。

万治3(1660)年の大火の後に防火帯として広小路の道路幅が拡張されてから、境内で行われてきた芝居や見せ物、露店の出店を通り沿いで行うことが奨励されたため、広小路が一大繁華街になったといういわれがあります。現在に続く栄の発展のきっかけが、ここにあったのですね。

まち歩きはここで終了。参加者さんからは「ずっと名古屋に住んでいるのに、初めて知ることがいっぱい!昔の姿を知ったからこそ、名古屋を見る視点も変わる気がします」という感想も聞けました。

名古屋のシンボルとして歴史を歩んできた名古屋城。その城下町で綿々と続いてきた民衆の営みが、名古屋のまちの文化をつくってきたことを実感します。みなさんも、名古屋城の見学後にはもう少しゆっくり、城下町の面影を辿る散策を楽しんでみては?

Text&Photo:Miyuki Saito

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「尾張名所図会」
今回、ガイドの松村さんには尾張国の地誌「尾張名所図会」の図絵を資料にご用意いただき、現在の街並みと比較しながらまち歩きを楽しみました。「名所図会」は、江戸時代末期に刊行された全国各地の名所旧跡を絵と文で紹介した地誌。現代でいうガイドブックのようなものです。尾張地方を紹介した尾張名所図会は、尾張藩士で学者の岡田啓と、青物問屋商人の野口道直が著し、挿絵は画家の小田切春江などが担当しました。復刻版の尾張名所図会は、名古屋市内各所の図書館で貸し出しを行っています。ぜひ探してみてください。