立派な天守閣も御殿も気にはなると思いますが、たまには下を向いてお城を歩いてみてはいかがでしょう。
名古屋城内を見渡すと、あっちにも、こっちにも、石、石、石。美しく積み上げられた石垣も含め、大中小形も様々な石があります。お城ですから、当然ですよね。でも、そんなたくさんの石の中には、江戸時代からずっとその場所にあり続けるものも。
あなたが歩いている足下をよ〜く見てみてください。地面に埋まった立派なサイズの石がありませんか。
それは、かつてお城の建物を支える土台となった"礎石"かもしれません。
今回は、一昨年にできた名古屋城調査研究センターの所長・服部英雄さんと名古屋城の礎石巡りへ。サスペンダーと眼鏡がよくお似合いの所長とゆく、とっても贅沢なツアーがスタート!
礎石から想像できる名古屋城のかつての姿
「礎石を見れば、そこにどんな建物があったか分かるんです」と服部所長。
"礎石"は、漢字の通り"礎となる石"。建物の柱などをつくる際に、足場として地面に埋められます。名古屋城は、1610年の築城開始以来、時代の流れとともにその姿を変えてきました。とりわけ1945年、戦争中の空襲によって天守をはじめ貴重な建物の数々が焼失したのはよく知られていること。
失われた名古屋城の景色がどんなものだったのか。今となっては資料などから窺い知るしかできませんが、礎石もそんな資料のひとつとして大切なものなのです。
具体的にどんなものか見てみましょう。服部所長が最初に案内してくださったのは御深井丸エリアの北東の角のあたり。(一般の来園者の方は立ち入れないエリアです)
このように大きくて平らな石が、地面から顔を出しています。御深井丸の堀沿いには、かつて御弓矢櫓(おゆみややぐら)、弓矢多聞(ゆみやたもん)が建てられており、その柱や壁のあった場所に礎石が残っています。
「柱が1、2、3、4、5、6、石垣のヘリにもう1本あって、計7本。柱と柱の間が1間ですので、6間の建物だと想像できますね」と礎石から建物の大きさが窺えます。この場所に櫓などがあったのは、江戸の尾張藩士が書き残した『金城温古録』や幕末に撮影された名古屋城内の写真からも分かるそうです。所長は資料と見比べながらご説明くださいました。
記録があるので、そこに建物があったことは分かる。しかし、それがどのくらいのサイズで、どんな構造の建物だったのかは外観の絵や写真だけでは分かり得ない。そんな文献資料だけでは埋められない歴史の1ページが、礎石をヒントにすることで思い描けるのです。
「この位置に柱があったのかな」
「狭い間隔で一直線に並んでいるからここに壁があったのかな」
目の前の景色とは違う名古屋城が頭に浮かんできます。これは想像以上に面白い。
城内のアチコチに礎石スポット
御深井丸北東の礎石は通常は立ち入れない場所にありますが、その他にも礎石スポットはいくつもあり、順番に案内していただきました。ここでもご紹介しますので、みなさんぜひ足を運んでみてください。
まずは、天守閣を高々と望む、本丸エリア北側の門を出てすぐの場所。見覚えのある方、ご存知の方もいるのではないでしょうか。焼失前の天守を支え、戦火の焼け跡に残されていた天守の礎石が、再建時にこの場所へ移されています。
一見すると石が敷き詰められている場所。けれど、天守の下にあったものと分かれば、石垣の上にどんな建物があり、どんな空間だったのかイメージが湧いてきます。
「奥に作られた井戸は天守の地階にあったものを再現しているんです。だから排水用の石の溝もありますよね」と服部所長。
そう言われれば確かに!(写真には写っていませんが、はっきりと溝があります。ぜひ探してみてください!)
本丸エリア南側の表二之門と本丸御殿の間にも。門をくぐって進むと枡形虎口に石畳が敷かれており、その中に礎石が隠れています。かつては表一之門の柱を支えていたのではと思われる石です。
春には桜と一緒に礎石も見に行こう!
最後にご案内いただいたのは、名古屋城正門からも近い、西の丸エリア南側の一段高くなっている場所。桜並木となっており、春祭りの時期には立ち入りが解禁される場所です。堀に沿って多聞櫓が建てられていました。
歩いてみると道の両端に礎石が並んでいます。つまり、この幅の櫓があったのです。櫓と櫓の間には馬出しの堀として掘削されていた場所もあり、そこは部分的に礎石が途切れています。礎石が見当たらないと分かることもあるんですね。知らずに歩くと「石で通路を作っているのかな」と思ってしまいそうですが、実は貴重な石だとぜひ知ってください。次にお花見に出かけた折には、桜だけでなく礎石にも注目していただけましたら。
礎石だけじゃない。数々の遺構が残る名古屋城
気に留めなければ数多ある石のひとつ。でも、見つけられたら名古屋城の見方が変わる。そんな奥深い世界を服部所長のご案内でのぞいてみました。
特別史跡に指定されている名古屋城、その魅力のひとつはまさに400年の時を超えて残り続ける遺構の数々だと服部所長は語ります。
「戦争によって天守や御殿が燃えてしまったのは本当に残念でした。けれど、櫓など江戸時代から残り続けている遺構もいくつもあり、名古屋城の文化財としての価値は高い。みなさんが名古屋城に訪れて目にするものの中にも、貴重な遺構があります。ぜひそれらのひとつとして、礎石にも注目してほしい。礎石から想像を膨らませてもらえたら、城がどんな姿のものだったか理解が深まるでしょう。考えながら歩くと、新しい気づきもあるはずです」
目で見るだけでなく頭で昔の景色を思い浮かべながらお城を歩く。名古屋城でそんな楽しみ方をしてみませんか。
ちなみに、服部所長は名古屋で生まれ育ち、天守閣再建の際には金鯱が屋根の上でお披露目されるのを望遠鏡で家の屋根から眺めていたといいます。「御深井丸北側の石垣が大きく崩れたのは大学生の時でしたよ」なんてエピソードも聞かせていただきました。中高生の頃は自転車で濃尾平野の城をめぐり、当時の城や城址近辺の写真を撮って回っていたという、昔からのお城好き。終始なごやかな雰囲気で新しい興味の扉を開いていただきました。
服部さんが所長を務める名古屋城調査研究センターの成果もぜひチェックしてください。
Text:Yuta Kobayashi Photo:Takayuki Imai

「名古屋城調査研究センター 研究紀要」
2019年に設立された名古屋城調査研究センターが毎年発行している研究成果をまとめた一冊です。服部所長をはじめ、美術史、古文書など専門領域も様々な研究員のみなさんの、名古屋城や名古屋周辺エリアの歴史に関する論文が掲載されています。研究紀要のPDFデータは名古屋城のWebサイトでも閲覧可能です。第2号には、服部所長の桶狭間の戦いを考察した論文も所収。