かつての姿そのままに復元された名古屋城本丸御殿。
みなさん、ご覧になったことはありますか。
匠の技が光る建築技術、障壁画をはじめとする豪華絢爛な美術調度品。
たくさんの見どころがありますが、今回お城noteで注目したいのは「木」です。
本丸御殿を形づくる美しいヒノキ。この木材がいったいどこからやってきたか知っているでしょうか。というか、木の産地を気にかけたことってないのでは。2020年秋、本丸御殿の木のルーツを探って、岐阜県中津川市へ。そこでは、ながく、ふかく続く、名古屋と裏木曽の山々のつながりが見えてきました。
樹齢数百年の木々が守られる裏木曽の美林へ
「裏木曽」とは、岐阜県中津川市の長野県木曽地域に接したエリアのこと。
昔々から、良質な材木が全国へ送り出されてきました。20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮には、約700年前から木曽・裏木曽のヒノキが使用され続けています。1600年代には、日本全国の築城ラッシュでたくさんの材木が求められたそうです。もちろん、名古屋城をつくるのにも使われました。
冬には雪深くなる裏木曽の山。寒い気候によって、1年に1mmにも満たない年輪を重ねた、目のしっかり詰まって粘り気のあるヒノキが育つといいます。油分が多いのでしなりにも強い。「木曽ヒノキ」は、数百年にわたって日本の建築シーンで重宝されてきたのです。日本の木造文化を支えてきたといっても過言ではありません。
そんな裏木曽の山を奥へ奥へ入っていった先にあるのが「裏木曽の美林(旧神宮備林)」。この森は現在、国有林となっており、なかでも天然の木曽ヒノキは、伊勢神宮の式年遷宮のほか、法隆寺、東大寺など、みなさんもよく知っている歴史的建造物の修復といった、限られた時にしか使われません。
樹齢300年、400年を中心に、中には1000年を超す立派な木が並び立つ森。実は、本丸御殿復元に使われた木の一部も、ここからやってきているんです。決して簡単には立ち入れないその場所へ案内していただきました。
広大な森に残るひとつの切り株。写真の真ん中で私たちが囲んでいるのが、本丸御殿に使用するために切り倒された、樹齢300年の木曽ヒノキ。2006年8月24日、たくさんの名古屋市民や地元関係者の見守る中、斧入れ行事が行われました。
「斧入れ?そんな太い木を斧で切ったんですか?」と驚くかもしれませんね。
そうなんです。伊勢神宮の式年遷宮に際した伐木では、伝統的な「三ツ緒伐り(みつおぎり)」という方法がとられます。太い幹の三方向から斧で切り進め、残った三点の支えのうちひとつを切って、望んだ方向へ木を倒す。カンカンカンと斧の音が静寂な森に鳴り響き、6人の杣(そま)の手で約1時間かけて切り倒されました。
数百年の時がつくった自然のままの姿の森
本丸御殿の木が切り出されたあたりは、とくに「木曽悠久の森」とも呼ばれています。数百年もの時をかけて育ってきた森を、できるかぎりそのままにしておこう。人の手がほとんど入っていない、自然の営みが守り続けられている特別な場所なんですね。
切り株の上に種が落ち、新たな木の芽が顔を出していました。天然の森では、こうして新たな木が育っていきます。もしかしたらこの小さな芽も、300年、400年かけて大木へと育っていくのかもしれませんね。人間には想像もつかないことです。
木曽ヒノキ備林には、「御神木」とされている大ヒノキがあります。この写真は、現在の御神木である二代目大ヒノキです。1934年の室戸台風で折れてしまった初代大ヒノキに代わり、1981年に発見されました。樹齢は推定1000年。直径1.5mで樹高26m。近づいてみると圧倒的なスケール感です。
こちらは本丸御殿の切株のすぐそばにある、2013年の伊勢神宮式年遷宮の際に行われた斧入れ式の跡地。1997年、16年も先の式年遷宮のために樹齢350年のヒノキが切り出されました。
特別な時にしか世に送り出されない木曽ヒノキ。私たちが目にしている本丸御殿には、そんな貴重な木が使われているんです。そして、おなじ裏木曽の山々で育まれた木は、江戸時代には名古屋のお城やまちを形づくりました。自然の恵みによる名古屋と裏木曽のつながりが垣間みえるのではないでしょうか。
10年で1万本の木を植えてきた「名古屋市民の森づくり」
立派な木々をまちへと送り出してくれる木曽・裏木曽の山。大切な森が永く続いていくものであるように、資源を活用するだけでなく、守り続ける取り組みもずっと行われてきました。江戸時代にも、築城ラッシュによって切りつくされた山を、尾張藩の管理のもとで伐木を制限してきた歴史があります(この歴史について、詳しくは次回の記事で)。
そして、本丸御殿復元をきっかけに、2008年から「名古屋市民の森づくり」が木曽広域連合・中津川市の協力のもと、名古屋城の事業として行われています。木曽・裏木曽の森に10年で1万本の木を植え、見守っていく。毎年数多くの名古屋市民が木曽・中津川を訪れて、植樹と森の管理をしてきました。
目標通り1万本の木を植え終えた後も事業は続いています。この機会を楽しみにしているリピート参加の方も多いんですよ。2020年は残念ながら新型コロナウイルスの影響で森づくりが実施できませんでしたが、翌年以降も名古屋の人たちと一緒に森づくりを進めていく予定です。
2020年秋の名古屋市民の森の様子を少しだけお届けします。10年かけて順調に成長を重ねる木々がある一方、近年は鹿のツノとぎで傷つけられたり、苗木の段階で食べられたりしてしまうケースも少なくないそうです。苗木が無くなったところには、新たな苗木を補植しています。写真のように苗木に防護ネットを張って獣害を防ぐ工夫も。
自然の森は、決して悠々自適に育てる場所ではなく、木々にとってたくさんの試練があります。数百年を生き抜いてきた木がいかにすごいか。未来へとつながる森ができていくように、たくさんの人の目と手で守られていくといいなと思います。「名古屋市民の森づくり」、ご興味ある方はぜひ参加してみてください!
Text:Yuta Kobayashi Photo:Takayuki Imai
「名古屋市民の森」
名古屋城本丸御殿の復元、木曽ヒノキ備林での斧入れ行事などをきっかけに、2008年から「名古屋市民の森づくり」がスタート!木曽・裏木曽の豊かな森を後世に伝えるために。森の恩恵を受けてきた名古屋の人たちの手による植樹と管理が行われてきました。10年で1万本の木を新たに植え、成長を見守っています。名古屋城では、毎年この名古屋市民の森を訪れるツアーを企画しています。植樹や手入れとセットで、木曽や中津川のまちの散策や木曽ヒノキ備林へ入る企画も行ってきました。