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「リアル謎解きゲーム 隠された御深井焼のキセル」を開催します!

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 名城エリアが誇る名古屋城築城からの歴史的ストーリー等を踏まえた新たな魅力創出や魅力資源の面的な活用により、名古屋第一級の歴史・観光・文化・スポーツの拠点機能の形成を目指すため「名城エリアにぎわい共創基本構想」に基づく回遊イベントを実施します。
名古屋城と名城公園で謎解きイベントを開催。参加者には参加賞と抽選で御深井焼(おふけやき)や名古屋ダイヤモンドドルフィンズの観戦チケットなど景品をプレゼント!

開催期間
令和7年11月15日(土)、16日(日)10:00~16:00(回答受付は16:00まで)
※本丸外の無料化実証実験期間中

受付場所
名古屋城二之丸広場および名城公園北園広場付近に設置された特設テントにて謎解き用紙を配布

ストーリー
 名古屋で生まれた江戸時代中期の大名、徳川 宗春。宗春は型破りな人物で7代目尾張藩主になる際、漆黒の馬に乗り、全身黒ずくめの衣装を着て、外国風の傘を被り、約 3.6m にもなる長いキセルを咥え名古屋入りしたという逸話が残っている。
そんな宗春は、名古屋城北側にあった殿様の秘密の庭園、"下御深井御庭(したおふけおにわ)"の窯で特別な"御深井焼のキセル"を作らせ、どこかに隠したという。
その宗春が作らせた特別な御深井焼のキセルには、知る人ぞ知る伝説があった。
「キセルの隠し場所は暗号になっており、見つけた者の元には"幸運"が訪れる。」
そんな伝説を聞きつけたあなたは手がかりが隠されているという名古屋城周辺を訪れることにした。
暗号を解き明かし、隠された御深井焼のキセルを見つけ出せ!

名城エリアについて
 名城エリアが誇る名古屋城築城からの歴史的ストーリー等を踏まえた新たな魅力創出や魅力資源の面的な活用により、名古屋第一級の歴史・観光・文化・スポーツの拠点機能の形成を目指すため、名古屋城一般公開・名城公園開園100周年となる令和13(2031)年を目途とした、多様な活動主体が一丸となって戦略的に取り組む上での指針となる「名城エリアにぎわい共創基本構想」を観光文化交流局観光推進課が策定し、その基本構想に基づいた取り組みを本エリアで実施してまいります。

対象エリア
 名古屋城及び名城公園北園に加えて隣接する大学やエスパシオ ナゴヤキャッスル等を含み、また、本エリアを訪れる観光客等の人流やにぎわいを周辺地域へ波及させることも意図した範囲とします。

名城エリアの歴史
 近世名古屋城の築城は、徳川家康が慶長15(1610)年より西国・北国の諸大名に命じて公儀普請で実施されました。熱田台地の北西端に総石垣造りの巨大城郭が築かれるとともに、碁盤割の城下が形成され、以後、尾張藩の政庁所在地として、名古屋は尾張国の政治・経済の中心地へ発展しました。
名古屋城の天守は江戸時代を通じて遺った天守としては国内最大規模を誇ったほか、金鯱を載せる唯一の天守だったことから、尾張藩士はもとより名古屋の庶民にとっても誇りとなる名古屋の象徴建造物として親しまれました。

 現在の北園がある名古屋城の北側は、埋蔵文化財包蔵地に指定されており、江戸時代には下御深井御庭(したおふけおにわ)と呼ばれ、尾張藩主の庭園として利用されていました。
明治に入ると、名古屋城は陸軍省の所管となり、明治22(1889)年には北側の庭園が陸軍省の練兵場として解体されました。
明治26(1893)年に、名古屋城の一部は宮内省へ移管され、名古屋離宮となり、昭和5(1930)年に名古屋離宮廃止に伴い離宮一帯が本市へ下賜され、翌年には名古屋城が名城公園として開園し、一般公開となりました。
 また、昭和24(1949)年から北練兵場跡である北園を中心に順次整備が進められ、今日では、都心の緑の拠点、スポーツ、レクリエーションの場としてにぎわいをみせています。