催し
西の丸御蔵城宝館企画展西の丸御蔵城宝館展示「名古屋城本丸御殿の障壁画」 Ⅱ期「にぎわう人々」
2025年12月05日 ~ 2026年01月18日
趣旨
令和7年度下半期を下記のように4期に分け、名古屋城総合事務所が所蔵する本丸御殿の障壁画とそれに関連する資料を紹介します。
Ⅰ期「将軍を迎える」令和7年10月3日(金)~令和7年11月30日(日) ← 終了
[前期:10月3日(金)~10月31日(金) / 後期: 11月1日(土)~11月30日(日)]
Ⅱ期「にぎわう人々」令和7年12月5日(金)~令和8年1月18日(日) ← 開催中
Ⅲ期「水の意匠」令和8年1月23日(金)~令和8年3月8日(日)
Ⅳ期「春の花鳥」令和8年3月13日(金)~令和8年5月10日(日)
[前期:3月13日(金)~4月10日(金) / 後期:4月11日(土)~5月10日(日)]
Ⅱ期「にぎわう人々」は、対面所「風俗図」に描かれた人々のにぎわいを取り上げます。令和7年度に名古屋市有形文化財に指定された「享元絵巻」をあわせて展示し、名所や盛り場に集う人々の様子を紹介します。
対面所は、尾張藩初代藩主・徳川義直(1600~1650)が家族や親戚と会う場所でした。義直と正室の春姫との婚礼が行われたと伝わります。上段之間と次之間は、それぞれ京都と和歌山の景色を俯瞰的に描いた障壁画で飾られていました。和歌山は春姫の故郷です。景色とともに人々の表情、姿勢、衣服の文様が様々に描き分けられています。にぎわう庶民の暮らしぶりは、為政者(政治を行う人)の理想とするものでした。
会期
令和7年(2025)12月5日(金)~令和8年(2026)1月18日(日)
※展示状況は、出品目録(PDF)にてご確認ください。
会期中は無休(ただし、12月29日(月)~1月1日(木)は休館。また、催事等で変更になる場合があります。)
主催
名古屋城総合事務所 名古屋城調査研究センター
協力
一般財団法人 名古屋城振興協会
主な出品資料
重要文化財 名古屋城本丸御殿障壁画「風俗図〔綱引・見世物〕」 慶長19年(1619)
名古屋城ガラス乾板写真「対面所次之間(焼失)西北側」 昭和15~16年(1940~1941)
名古屋市有形文化財「享元絵巻」 江戸時代中期
※いずれも名古屋城総合事務所所蔵

重要文化財 名古屋城本丸御殿障壁画「風俗図〔綱引・見世物〕」 (部分) じゅうようぶんかざい なごやじょうほんまるごてんしょうへきが 「ふうぞくず(つなひき・みせもの)」
慶長19年(1619) 名古屋城総合事務所所蔵
対面所次之間東側襖絵4面の右側2面です。千秋万歳(せんずまんざい)の門付(かどつ)け、綱引き、掛小屋での見世物など、新春の様子が描かれています。次之間は春姫の故郷である和歌山の城下と紀州名所の和歌浦(わかのうら)を描いていると考えられています。
名古屋城ガラス乾板写真「対面所次之間(焼失)西北側」 なごやじょうがらすかんぱんしゃしん「たいめんじょつぎのま(しょうしつ)せいほくがわ」
昭和15~16年(1940~1941) 名古屋城総合事務所所蔵
名古屋市は、昭和15年(1940)から翌年にかけて、名古屋城内の当時の国宝だった建物24棟の写真撮影を行いました。撮影に用いられたガラス乾板は、ガラスに感光剤を塗布したもので、写真フィルムに相当します。
次之間北側の襖には勅使参詣(ちょくしさんけい)や船下ろしなどの海辺の光景が描かれていました。天井は折上格天井(おりあげごうてんじょう)、欄間は筬欄間(おさらんま)で、襖を開けると上段之間となります。次之間よりも格の高い上段之間は、床が一段高くなっています。

「享元絵巻」(部分) きょうげんえまき 江戸時代中期 名古屋城総合事務所蔵
尾張藩七代藩主宗春は、藩士の芝居見物を許すなど、規制を緩め消費を奨励しました。本町通沿いに芝居小屋や料理屋が立ち並び、老若男女の娯楽の場として賑わいましたが、行き過ぎた規制緩和を幕府から咎められ、緩和を改めました。
宗春が治世を開始した享保16年(1731)から規制強化に転じた元文元年(1736)までの広小路本町から南の地域の繁栄を描いています。箱蓋表に「享元絵巻」と記す貼紙があり、この名で知られてきました。
※詳しくは、展示解説(PDF)をご覧ください。