催し
西の丸御蔵城宝館企画展特別展「「写された名古屋城」―特別出品 徳川慶勝撮影写真帖―」
2025年04月26日 ~ 2025年07月13日

趣旨
名古屋城は、廃藩置県後も天守・御殿をはじめとする本丸主要部が保存されたこともあり、数多くの写真が遺された城としても特筆されます。特に14代藩主だった徳川慶勝は、西洋伝来の写真に興味を抱き、自ら名古屋城内の撮影を行うという特異な才能を発揮しました。名古屋城内と判る写真だけでも200枚を数えます。
また、昭和初年に名古屋城の管理を引き継いだ名古屋市は、戦災焼失前の国宝建造物を中心に700枚以上のガラス乾板撮影を行いました。近代以降に撮影された写真を含む、これら一連の写真群は、失われた往時の雄姿を鮮明に捉えているとともに、名古屋城復元のための重要な記録となっています。この貴重な文化財を広く市民に知っていただくため、名古屋城西の丸整備の完成を記念し、門外不出の徳川慶勝撮影写真帖の内、名古屋城写真を納めた2冊を特別に借用して公開するとともに、名古屋城が所蔵するガラス乾板写真の一部を展示し、国内屈指の名城と讃えられた往年の景観をご紹介します。
会期
令和7年(2025)4月26日(土)~7月13日(日)
※展示状況は、出品目録(PDF)にてご確認ください。
会期中は無休(ただし、催事等で変更になる場合があります)
主催
名古屋城総合事務所 名古屋城調査研究センター
協力
一般財団法人 名古屋城振興協会
特別協力
公益財団法人徳川黎明会 徳川林政史研究所
主な出品資料
「名古屋新御殿・名古屋城写真帖」 徳川慶勝撮影 江戸時代末期 徳川林政史研究所蔵
「本所長岡町・名古屋新邸写真帖」 徳川慶勝撮影 江戸時代末期 徳川林政史研究所蔵
「諸品新聞書」(徳川慶勝自筆写真実験記録) 江戸時代末期 徳川林政史研究所蔵
「旧習一新記」(徳川慶勝自筆写真薬品調合記録) 文久2年(1862) 徳川林政史研究所蔵
「名古屋城ガラス乾板写真」733枚の内 昭和15~16年(1940~41)頃 名古屋城総合事務所蔵
「名古屋城郭図屏風」 川崎千虎筆 明治時代 名古屋城総合事務所蔵
「梨子地葵紋散太刀拵」(三輪神社奉納品) 徳川義宜所持・徳川慶勝奉納 名古屋城総合事務所蔵
「名古屋城二之丸御殿・天守古写真」 なごやじょうにのまるごてん・てんしゅこしゃしん
徳川慶勝撮影 江戸時代・19世紀 徳川林政史研究所蔵
文久元年(1861)に独自の研究に基づいて写真撮影に成功した慶勝は、以後、人物・風景・器物など確認できるだけでも1,000枚以上の写真を撮影しています。名古屋城の写真は約400枚あり、これほど大量に写真が残されている城は他にありません。
慶勝撮影の名古屋城の写真は、二之丸御殿の奥といった殿様しか入れない場所でのものがあることが特徴で、当時の様子を伝える貴重な記録となっています。
二之丸東鉄門北側の多門櫓より撮影した二之丸御殿と天守です。南側(左)の大屋根は奥御殿、北側(右)の二階杮葺屋根は藩主居館の一つ桜之間で、この北側に現存する北御庭が広がっています。二之丸北部や本丸東部には、高木が生い茂っていたことがみとてれます。
「名古屋天王祭山車行列古写真」 なごやてんのうまつりだしぎょうれつこしゃしん
徳川慶勝撮影 江戸時代・19世紀 徳川林政史研究所蔵
二之丸辰巳櫓より南側の尾張藩重臣・渡辺家屋敷前を撮影した写真で、からくり上演を行う門前町の陵王車を写しています。櫓に向かっての上演は、櫓内部にいる慶勝への上覧を意図しています。
名古屋城ガラス乾板写真 「天守四階内階段」 なごやじょうがらすかんぱんしゃしん「てんしゅよんかいうちかいだん」
昭和時代・20世紀 名古屋城総合事務所蔵
名古屋市は、昭和15年(1940)から翌年にかけて、名古屋城内の当時の国宝だった建物24棟の写真撮影を行いました。撮影に用いられたガラス乾板は、ガラスに感光剤を塗布したもので、写真フィルムに相当します。名古屋市が撮影した565枚のうち一部が空襲で焼失しており、他の機関が別の機会に撮影した写真を複写して補い、738枚を所蔵しています。
大天守4階内北東部にあった階段を北西より撮影しています。階段中央に一般公開時に来城者用に新設された手摺が写っています。右下の階段開口部には、有事の際に口を塞ぐ引き出し床と桟が写っています。4階の高さは22尺7寸5分(約6.9m)あるため、階段途中に踊り場を設け、右折れに5階へ上がる形式となっていました。
「徳川慶勝肖像写真」 とくがわよしかつしょうぞうしゃしん
昭和8年(1932)複写〔原本:慶応元年(1865)撮影〕 名古屋東照宮所蔵
数え42歳時の肖像です。慶勝は写真撮影に成功した数え38歳時の文久元年(1861)に自分を撮影して以来、数種類の肖像写真を遺しています。尾張徳川家は初代義直の命に基づいて歴代の肖像画を作成しなかったため、慶勝が撮影した一族の写真は、それぞれの容貌を知る上で貴重な資料となっています。この写真は、昭和8年(1932)に原本から複写され、19代義親によって名古屋東照宮に奉納されました。