催し

西の丸御蔵城宝館企画展

特別展「名古屋城と相応寺-家康を愛した女性 相応院の眠る寺」

2024年12月21日 ~ 2025年02月24日

特別展「名古屋城と相応寺-家康を愛した女性 相応院の眠る寺」の画像

趣旨

 相応院お亀の方(1573~1642)は、尾張徳川家の基礎を築いた女傑です。最初の夫を失ったあと徳川家康と暮らし、のちの尾張藩初代藩主義直をもうけます。お亀の方は、晩年の家康とともに駿府城で義直を慈しみ、家康が亡くなると剃髪して相応院と号し、名古屋城に入り藩主義直を支えました。寛永19年(1642)相応院は没し、翌年、菩提寺として宝亀山相応寺が名古屋城下に建立されました。
 相応寺は、昭和7年(1932)に創建地の東区から現在地の千種区に移転しましたが、義直が描いた相応院の画像が伝えられ、創建時にさかのぼる貴重な杉戸絵も現存します。令和6年(2024)、それら相応寺所蔵の絵画や仏画・仏像、本堂・総門・山門などが、名古屋市指定有形文化財に指定されました。それを記念し、障壁画を中心とした相応寺の寺宝を公開します。生前の相応院を取り巻いていた、豪奢な空間をお楽しみください。

会期

令和6年(2024)12月21日(土)~令和7年(2025)2月24日(月・祝)

※展示状況は、出品目録(PDF)にてご確認ください。

会期中は無休(ただし、催事等で変更になる場合があります)

主催

名古屋城総合事務所 名古屋城調査研究センター

協力

一般財団法人 名古屋城振興協会

特別協力

相応寺

主な出品資料

出品目録(PDF)

名古屋市指定文化財 「相応院画像」 徳川義直自画賛 相応寺蔵


名古屋市指定文化財 「相応寺杉戸絵」 相応寺蔵


愛知県指定文財 「旧相応寺障壁画」 名古屋市博物館蔵

相応院画像.jpg

「相応院画像」そうおういんがぞう
徳川義直自画賛 江戸時代前期 相応寺蔵 名古屋市指定有形文化財

 相応院実子の尾張藩初代藩主義直による相応院の肖像画です。相応院一周忌の寛永20年(1643)9月、相応寺落成法要にあたって義直が相応寺に寄進しました。賛も義直の自詠自筆で、慈愛にみち慎み深く柔和であった母をたたえ、その姿を写し永遠に恩を忘れないと記しています。相応院は69歳(満年齢)で亡くなっており、本図は義直の脳裏に残る若き母の画像と考えられます。令和6年、名古屋市の有形文化財に指定されました。

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相応寺障壁画 鶴図・芍薬図杉戸絵のうち 「芍薬図」 しゃくやくず
江戸時代前期 相応寺蔵 ●前期展示

 相応寺本堂廊下の杉戸です。寺外の公開は今回がはじめてです。桃色と白色の大輪の芍薬を写実的に描いており、品種の違いも意識されています。芍薬は薬草であるとともに品種の多様さと美しさが尊ばれ、江戸時代初期には様々な品種が大名屋敷で栽培され、障壁画においても各品種が明確に描き分けられていました。

旧相応寺障壁画_梅椿図襖.jpg

旧相応寺障壁画 「梅椿図襖絵」 うめつばきずふすまえ
江戸時代前期 名古屋市博物館蔵 愛知県指定有形文化財 ●前期展示

 相応寺伝来の障壁画の中でも白眉というべき逸品です。文献から、寛永18年(1641)に尾張藩江戸上屋敷(鼠穴屋敷・現東京都千代田区吹上御苑内)の中に造営された相応院江戸御座所の襖絵である可能性が高いと考えられます。雪の積もる土山の奥に紅梅が伸び、その奥から八重と一重の白椿二種が顔をのぞかせています。花や葉の描き方は自然で柔らかく古格を有していますが、構図はやや技巧的で、寛永末年の時代性を示しています。

旧相応寺障壁画_松桜図襖.jpg

旧相応寺障壁画 「松桜図襖絵」 まつさくらずふすまえ
江戸時代前期 名古屋市博物館蔵 愛知県指定有形文化財 ●後期展示

 大輪の八重桜と松を描く襖絵です。「梅椿図襖絵」と表裏を成しています。おおらかな画風は、寛永11年(1634)に描かれた名古屋城本丸御殿上洛殿松之間の床の間と襖絵の「松桜図」にきわめて近く、上洛殿障壁画制作を指揮した狩野探幽(かのうたんゆう)の門人たちが、寛永18年(1641)の相応院江戸御座所作事にも関わったと考えられます。