催し
イベントアーカイブ外国人が見た近代の名古屋城
2026年01月12日
明治時代から名古屋には多くの外国人が訪れました。
明治~昭和戦前期までの外国人が見た名古屋の姿を探ります。
日時
2026年1月12日(日・祝)10時〜11時30分
会場
本丸御殿孔雀之間(本丸御殿ミュージアムショップ前で受付)
※会場は和室のため、座布団にご着席いただきます。机の用意はございません。
講師
吉田 達矢 / 名古屋学院大学 准教授
料金
500円(別途、名古屋城入場料が必要です)
定員
35人
申込方法
12月10日(水)10:00から大ナゴヤ大学HP よりお申し込みください。
当日スケジュール
9:30 受付
10:00 講座開始
11:30 終了
主催:名古屋市(名古屋城総合事務所)
運営:大ナゴヤ大学
2026年1月12日、名古屋学院大学国際文化学部准教授の吉田達矢さんを先生にお招きし、名古屋城本丸御殿孔雀之間で「外国人が見た近代の名古屋城」を開催しました。

吉田先生の専門はオスマン帝国史。最近では、近現代の名古屋におけるイスラーム教徒をはじめとする外国人の足跡をたどる研究にも取り組んでいます。今回の講座では、近代以降の名古屋、名古屋城の歴史、交通網の変遷などについておさらいした上で、吉田先生の研究を通して、明治時代前半から戦前までにどんな国の人々が、どんな目的で名古屋を訪れたのかについて解説いただきました。


江戸時代、出島から江戸を往復する外国人の記録を見ると、大阪・京都〜江戸の移動には主に東海道が利用されていたことがわかります。ですがこの場合、桑名〜宮宿ルートを利用するため、外国人が訪れるのは熱田の周辺。基本的には名古屋城下町は素通りされていたそうです。幕末には、外国人に名古屋城が注目され始めたといわれています。
外国人が名古屋城を訪れるようになったのは、遅くとも明治時代初めからとのこと。記録によると、来名した(名古屋を訪れた)外国人は外交官、皇太子、作家、旅行家、学者、牧師、宣教師など。当時の記録には、来名者の「名古屋城を一覧したい」といった要望や、「商業が盛ん」「(名古屋は)日本で4番目に大きな都市」「工業都市」「驚くほど近代的な都市」といった記述が残っています。もちろん、名古屋城と金鯱の記録も。ただ、明治後半では、名古屋城に良くない印象を持つ記録もみられます。吉田先生によると「濃尾地震の被害の影響が考えられるのでは?」とおっしゃっていました。

大正時代になると、欧米に加えてアジアなど、さまざまな地域からの来名者が増加。訪問先として人気が高かったスポットの一つが、愛知商品陳列館でした。外国人の、名古屋のものづくりに対する関心の高まりが感じられます。明治時代と比べると登場頻度は減ったものの、当時離宮だった名古屋城に関する記述も多く残っています。フランスから訪れた詩人・劇作家のポール・クローデルは戯曲『繻子の靴』で、名古屋城の天守閣について記述しています。遠い国からやってきた人の心に、名古屋城から目にした光景が残っていたと思うとしみじみとした気持ちになりました。

昭和10年代までは、欧米やアジア諸国からさまざまな来名者がいましたが、日本と国際社会との関係悪化に伴い、来名者の数は減少。太平洋戦争に突入すると、記録はほとんどなくなったといいます。
江戸から明治、大正、昭和前期とたどっていく中で、来名する外国人のニーズの多様化の変遷を感じ取ることができるとともに、「ものづくりのまち」としての名古屋に対する関心は古くから続くものなのだと実感することができました。併せて、観光名所としての名古屋城の歴史についても触れられたように思います。
公的に残る記録だけでなく、日本の新聞、海外の新聞、来名者が残した記録など、さまざまな文献をつぶさに観察しながら、かつて名古屋に訪れた人たちの足跡をたどる吉田先生。今後の課題として「資料を収集・精緻化して、他の都市、さらには戦後にも目を向けて外国人の視点の変化を明らかにすることで、観光地としての名古屋城、名古屋市を考えていきたい」とお話ししていました。


時代とともに移り変わってきた「名古屋・名古屋城を見る視点」。さらなる研究の発展に期待を寄せながら、ひとりの市民としても今後どのように変わっていくのか、思いを巡らせてみたいと感じました。
カメラ・レポート/伊藤成美