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尾張藩主の日々の暮らし -名古屋城、江戸屋敷での生活を探る -

2025年01月12日

尾張藩主の日々の暮らし -名古屋城、江戸屋敷での生活を探る -の画像

今回のテーマは、尾張藩主の日常。
みなさんは、尾張藩主がどんな暮らしを送っていたか考えたことがあるでしょうか。
日常の様子、儀礼、余暇の過ごし方など、
名古屋城二之丸御殿や江戸の屋敷での暮らしぶりに注目します。

お話をいただくのは、中京大学文学部の白根孝胤先生です。日本近世史を専門とし、諸大名の生活の歴史についてもご研究されています。
この講座では、当時の側近の日記などの史料をもとに、尾張藩主の生活を紐解きます。
藩主のまだ知らない一面を垣間見ることで、江戸時代の暮らしへの理解が一層深まるでしょう。
「こんな一日を送っていたんだ」「ここへ出かけていたんだ」と新たな発見がたくさん得られると思います。

日時

2025年1月12日(日) 14時~15時30分

会場

名古屋能楽堂 会議室

講師

白根孝胤 / 中京大学文学部教授

料金

500円(別途、名古屋城入場料が必要)

定員

35人

申込方法

大ナゴヤ大学HP内ページよりお申し込みください。

当日スケジュール

13:30 受付
14:00 講座開始 
15:30 終了

主催:名古屋市(名古屋城総合事務所)
運営:大ナゴヤ大学

2025年1月12日、名古屋能楽堂会議室にて「尾張藩主の日々の暮らし -名古屋城、江戸屋敷での生活を探る-」を開催しました。中京大学文学部の白根孝胤教授が講師を務め、藩主の暮らしぶりを紹介しました。

前半では「国元での暮らし」、つまり名古屋城での暮らしについて紹介。普段、城子屋の会場として使用する本丸御殿は迎賓館としての役割が大きく、藩主の居住空間は二の丸が中心でした。6代藩主・継友の初めてのお国入り(名古屋城に到着)の際には、最も位の高い部屋である「御座之間(ござのま)」では家老や側近の家臣が藩主にお目見えし、御座之間に隣り合う「焼火之間(たきびのま)」では他の家臣たちがお目見えをするとともに、藩主の代わりに関係各所へ国入りの報告を命じたとの記録が残っているといいます。

定期的な家臣の拝謁、儒者による進講「月次講釈(つきなみこうしゃく)」、能の稽古、あるいは家臣からの報告による領内事情の把握などに対応する藩主は、時には天守・本丸御殿の巡覧や城外視察を行うなど、毎日を忙しく過ごしていました。

そんな藩主たちにとって憩いの場だったのが「二之丸御庭」です。10代藩主・斉朝の時代に和風の池泉回遊式庭園に拡張・改修された二之丸御庭では、家臣たちとの花見を催し、労をねぎらったとの記録が残っています。また、現在の名城公園にあたる「御深井庭」は、藩主とその家族の憩いの空間として設けられた庭園として伝わっています。

後半では、「江戸での暮らし」について紹介。年中行事に関する御礼に加え、家督相続など「御家」存続に関する御礼など、江戸城で将軍に拝謁する機会も多かったようです。尾張藩主が居を構えた市谷上屋敷では、年寄衆や諸役人に令達を発したり、御三家や御縁家などと交流したり、あるいは年中行事や参勤交代、家督相続、官位叙任などにも対応するなど、歴代藩主は江戸でも国元と同じく、忙しく過ごされていたようです。

また、講座では江戸下屋敷にあった「戸山荘」の紹介も。9代藩主・宗睦の時代に再興され、庭好き・植物好きで知られる11代将軍・家斉から「天下の名園」と称されたという戸山荘には、他にも松平定信が視察。家斉公に庭園の素晴らしさを伝えるため、わざわざ尾張から絵図「戸山荘八景」を拝借したと伝わっています。

最後には、若き藩主が巡った江戸名所についても紹介がありました。隅田川界隈や王子権現、飛鳥山、日暮里、染井の植木屋など、藩主が訪れた先はいわゆる観光名所。現代の私たちが観光ツアーに参加してワクワクするように、藩主も名所巡りで胸を弾ませていたと思うと、親近感を覚えました。

カメラ・レポート/伊藤成美