催し
イベントアーカイブ名古屋城で生まれた御深井焼〜尾張徳川家が慈しんだ産業の軌跡〜
2024年11月17日

名古屋城内の窯で焼かれた「御深井焼」。
その誕生に深く関わる尾張徳川家との関係性や御深井焼の魅力を、御用窯の一つである加藤唐三郎家の分家・加藤彦九郎景久を家祖とする喜多窯霞仙の当主が紹介します。
講座では、現代に続く瀬戸・赤津の窯業の興隆を示す史料も公開!
また、会場にて喜多窯霞仙当主が手がけた名古屋城オリジナルお土産「殿さまのごほうび」も販売します。
※やっとかめ文化祭DOORS連動企画です。
日時
2024年11月17日(日)14時〜15時30分
会場
本丸御殿孔雀之間(本丸御殿ミュージアムショップ前で受付)
※会場は和室のため、座布団にご着席いただきます。机の用意はございません。
講師
加藤 裕重 / 喜多窯 霞仙 十二代当主
料金
1,000円(別途、名古屋城入場料が必要)
定員
35人
申込方法
やっとかめ文化祭DOORSよりお申し込みください。
当日スケジュール
13:30 受付
14:00 講座開始
15:30 終了
主催:名古屋市(名古屋城総合事務所)
運営:大ナゴヤ大学
城子屋では毎年、名古屋市主催の「やっとかめ文化祭DOORS」との連動企画講座を開催しています。
今回は「御深井焼(おふけやき)」をテーマに、尾張徳川家の御用窯の一つである加藤唐三郎家の分家・加藤彦九郎景久を家祖とする「喜多窯 霞仙」の十二代当主・加藤裕重さんにご講演いただきました。
「日本六古窯」の一つに数えられる瀬戸では、1000年以上にわたって焼き物が生産されてきました。その長い歴史の中で、さまざまな転機が訪れました。
一つは戦国時代。日用品だった焼き物は美術品として扱われるようになったのです。
その背景にいたのが、織田信長です。
信長と瀬戸の焼き物のつながりを示す「信長朱印状」には、焼き物産業を保護しようとする意図が読み取れる内容が記載されています。
転機は他にも。一つは、多くの窯元が隣国・美濃へ集団移住した「瀬戸山離散」。
通説では戦乱により焼き物の生産販売ができなくなり、瀬戸を離れて美濃に移ったといわれていましたが、最近では「織田信長が美濃に進出するにしたがって経済基盤も北へ移動したことから、陶工たちはより商売しやすい美濃に移動したのでは、といった説も出てきている」と加藤さん。瀬戸と同様に良質な土が取れる美濃に移ることに、窯元たちは商機があると考えたのでしょう。
続いて訪れた転機は「竃屋呼び戻し」。
慶長15年、産業発展と城下町への日用品の供給などを目的に、徳川義直公が美濃に移住した窯元たちを瀬戸に呼び戻したのです。
これに伴って御用窯の一つとなった加藤唐三郎家は、城内に設けた窯で焼き物の生産指導を担うことに。その待遇は非常に特別だったと伝わっています。
名古屋城の北側の「御深井庭(おふけにわ)」に設けられた窯で「御深井焼」が生まれました。
青みがかった淡い緑色の釉薬「御深井釉」が特徴で、加藤さんによると「釉薬がしずく状になっているものは良質で、高温で焼成された証」なんだそうです。
一方で分家である加藤彦九郎景久家は、留守役として赤津にて主に日用品などを生産していました。
講座では、江戸時代に製造されたすり鉢や片口などの焼き物、加藤家に残る江戸時代(おそらくは9代藩主宗睦の代)に発行された、朱印状を瀬戸や美濃の窯屋の代表が持ち回りにすることを取り決めた古文書の現物、釉薬のサンプルをお見せいただきました。
焼成の際にくっついてしまったものなど、窯だから残る品もあり、参加者の皆さんも興味津々の様子でした。
また講座では、加藤さんが手がけられた名古屋城の公式土産「殿さまのごほうび」の紹介も。
加藤さんは「焼き物の材料はすべて天然のものです。天然のものは、育っていきます。時間とともに変化する焼き物の表情を楽しんでほしいです」と笑顔を見せました。
お城で生まれ、現代に続く「御深井焼」の歩みを垣間見ることのできる講座でした。
カメラ・レポート/伊藤成美