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殿さまが愛し支えた能・狂言 −尾張徳川家と能役者の関係−

2024年01月06日

殿さまが愛し支えた能・狂言 −尾張徳川家と能役者の関係−の画像

今回の講座で取り上げるのは「能・狂言」です。
名古屋は「芸どころ」と呼ばれ、伝統的な文化・芸能に関する稽古事が盛んといわれています。能・狂言に関しても、大学のサークルで学ぶ若者や、社会人になってから狂言を学び始める人がいるほどです。

時代は遡り、江戸時代。尾張藩では幕府と同様に、能役者を「御役者」として藩独自で雇用していました。御役者は稽古も任されており、初代藩主・義直をはじめ歴代藩主は能・狂言をたしなんでいたのだとか。2代藩主・光友は能・狂言の愛好者として知られています。
演者でもあり、藩主の先生でもあった能役者たちは、城下のまちの人々とも深く関わっていたといいます。名古屋をはじめ東海地域の能楽文化を研究する飯塚恵理人先生に、尾張徳川家と能役者の関係、能・狂言の発展がもたらしたものなどについてお話しいただきます。

日時

2024年1月6日(土)10時〜11時30分

会場

本丸御殿孔雀之間(本丸御殿ミュージアムショップ前で受付)

講師

飯塚 恵理人/椙山女学園大学 文化情報学部 教授

料金

500円(別途、名古屋城入場料が必要)

定員

35人

申込方法

大ナゴヤ大学HP内ページ よりお申し込みください。

当日スケジュール

9:30 受付
10:00 講座開始 
11:30 終了

主催:名古屋市(名古屋城総合事務所)
運営:大ナゴヤ大学

2024年1月6日、本丸御殿孔雀之間で、城子屋「名古屋が愛し支えた能・狂言―江戸時代の名古屋城内外における能役者の境遇―」を開催。椙山女学園大学の飯塚恵理人先生に、さまざまな史料から読み解ける、江戸の名古屋の能役者たちの姿についてお話しいただきました。

飯塚先生のお話は、冒頭より多数の史料の画像を示しながら進められました。江戸時代よりも前、世阿弥の活躍した応永年間(1394〜1427年)に、熱田神宮で猿楽が演じられていたこと。関ヶ原の戦いの頃、清洲で催された能の出演者とその出自。徳川家が公認した流派。尾張藩二代藩主・光友が能の名手であったこと。「金城温古録」に記された名古屋城の奥舞台の様子。先生の説明を通して、当時の能・狂言をめぐる模様がいろいろな角度から浮き彫りにされました。

続けて話題は、尾張藩とも関わりの深い役者たちが、どのような生涯を送っていたかへ。二代藩主の光友に能を教えたとされる金春八左衛門は、尾張藩とのつながりの深さが、幕府との二重出仕になっても尾張藩の勤めを続けていける根拠になったそうです。御役者たちの家系図を見ると、「病弱のために暇」つまり体調を理由に養子に出され、役者から別の道へ移った人が何人もいたことがわかります。能役者の家に生まれながら、養子という仕組みを使い、自分の得意を活かす人生を歩んだ人もいたのがとても興味深いです。

この他、役者たちがどんな俸給を得ていたか、どこに居住しどのように勤めていたかなど、生活の実態が窺える史料も。藩に属さない町役者や旅興業主体の一座の存在にも触れられました。

講座の後半では、江戸から明治へと世の中が大きく変化した頃の、能役者たちについても紹介されます。明治維新の後、尾張藩は能楽師たちに軍役を与え、兵士としての訓練と能の修行の両方が行われていました。こうした状況からは、尾張藩が時代の節目において、能楽師たちが路頭に迷うことがないよう、守ろうとしていた姿勢が見て取れるといいます。

自ら能を舞うことを好んだ藩主も多かった尾張藩。幕府や他の地域とは異なる形で能・狂言の文化を愛し、育て、守ってきたことを、役者たちのエピソードから深く知る機会になりました。

カメラ・レポート/小林優太