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尾張藩とまつり

2023年10月17日

尾張藩とまつりの画像

名古屋城とつくる学びの場「学びでつながる城とまち。城子屋」。
今回取り上げるのは、「まつり」です。

尾張藩は名古屋東照宮祭礼を主催するなど、城下のまつりと深い関わりを持っていました。歴代藩主の内、7代宗春や10代斉朝はまつりを特に愛好した殿様と知られ、まつり文化発展に大きく寄与しました。名古屋城調査研究センター主査で、近世武家文化等に関する調査研究を担当する原史彦さんが講師を務め、尾張藩とまつりとの関わりを紐解きます。

日時

2023年10月17日(火)18時00分〜20時00分

会場

本丸御殿孔雀之間(名古屋城正門前で受付)

講師

原 史彦 / 名古屋城調査研究センター 学芸員

料金

無料(別途、名古屋城入場料が必要)

定員

35人

申込方法

大ナゴヤ大学HP内ページ よりお申し込みください。

当日スケジュール

17:45 名古屋城正門にて受付開始
18:00 本丸御殿孔雀之間に移動
18:15 講座開始
19:45 終了、孔雀之間を退出
20:00 解散

主催:名古屋市(名古屋城総合事務所)
運営:大ナゴヤ大学

2023年10月17日、城子屋「尾張藩とまつり」を、本丸御殿孔雀之間で開催しました。講師は、名古屋城調査研究センター主査の原史彦さん。名古屋の人たちが楽しみな年中行事のひとつ「名古屋まつり」を前に、江戸時代に尾張藩で開催されていた祭礼の歴史についてお話しいただきました。

名古屋のまちでまつりが行われるようになったのはいつ頃のことか。名古屋まつりのルーツとして名前があがりやすいのは、徳川家康を偲ぶ「東照宮礼祭」ですが、祭礼形態が継承されるなどのつながりはないといいます。とはいえ、江戸時代の尾張藩における一大行事であったことは間違いなく、まずは名古屋東照宮礼祭が始まった経緯やその様子について、史料を手がかりにご説明いただきました。元和4年(1619年)に、久能山、日光に続き、国内では3箇所目となる東照宮が造営された名古屋。同7年(1622年)には、祭礼の原型が出来上がったのではないかと考えられています。立派な神輿や山車が出される祭礼行列の様子や、お金を払ってまつりを見学できる上覧所があったことなどが紹介されました。興味深いのは、名古屋東照宮礼祭が、尾張藩の人だけでなく町人の力も借りて運営されていたことです。まつりが町人のエネルギー発散の場になったとも考えられ、この形態は全国の城下町礼祭や東照宮礼祭の見本になった可能性が高いそうです。

後半には、歴代藩主とまつりの関係性についても語られました。初代徳川義直、7代宗春、10代斉朝、14代慶勝が、それぞれまつりとどう関わったのか。とりわけ、宗春による規制緩和は、まつりとまちの様子を大きく変えました。また、慶勝時代に撮影された、日本最古の祭礼を撮った写真も見せていただきました。

尾張藩のまつりが形づくられていった歴史に触れて、今の時代にも共通するまつりのあり方や特質が見て取れたと思います。藩や城との密接なつながりのもとに祭礼が行われていたことを知り、参加者さんたちのまつりというものへの見え方も少し変わったのではないでしょうか。


カメラ・レポート:小林優太