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尾張名古屋で磨かれ続ける柳生新陰流の技 〜第二十二世宗家が語り、魅せる剣術文化の極意〜

2022年01月10日

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名古屋城とつくる学びの場「学びでつながる城とまち。城子屋」。
今回は「柳生新陰流」を取り上げます。

「柳生新陰流」は時代劇や舞台などの歴史物にも登場する、日本を代表する剣術の流派です。「詳しくは知らないけど、名前を聞いたことはある」という人も多いのではないでしょうか。

実はこの柳生新陰流、江戸時代に尾張の地で盛り上がりをみせました。

尾張藩初代藩主の徳川義直が柳生利厳より柳生新陰流を学んだことから、"尾張柳生家"の歴史が始まります。その後、流派の本筋となる宗家の座に、7人の尾張藩主がつき、尾張藩と柳生新陰流は深い関係性を築いてきました。尾張藩の武芸を語る上で、柳生新陰流は欠かせないキーワードなのです。

講座では講義に加え、名古屋城内で演武もご披露いただきます。天守や本丸御殿を背景に、柳生新陰流の技を間近にできる貴重な機会です。演武への解説もあるので、理解を深めながら観賞できると思います。

尾張名古屋で継承されてきた世界に誇る剣術文化。柳生新陰流の奥深い世界を一緒にのぞいてみませんか。このまちの歴史についても、新たな発見が得られるでしょう。

日時

2022年年1月10日(土)14時〜16時

会場

本丸御殿孔雀之間(本丸御殿ミュージアムショップ前で受付)

講師

柳生耕一平厳信 / 柳生新陰流兵法 第二十二世宗家

料金

500円(別途、名古屋城入場料が必要)

定員

25人

申込方法

大ナゴヤ大学HP内のページよりお申し込みください。

当日スケジュール

13:30 受付
14:00 本丸御殿孔雀之間にて講座開始
15:00頃 屋外へ移動、演武観賞
16:00 終了
※天候によって演武が中止となり、講座内容を変更する場合がございます。予めご了承ください。

主催:名古屋市(名古屋城総合事務所)
企画・運営:大ナゴヤ大学

新年が明けて間もない1月10日、城子屋「尾張名古屋で磨かれ続ける柳生新陰流の技 〜第二十二世宗家が語り、魅せる剣術文化の極意〜」が開催されました。前半は講座、後半は演武の二部構成という、なんとも贅沢な内容です。
時代劇や歴史小説で「柳生新陰流」という名前を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。実は、柳生新陰流は尾張と江戸の流派で分かれており、尾張がその源流なのです。




講師は、現在の新陰流兵法第二十二世宗家、尾張柳生家第十六代当主の柳生耕一平厳信さん。まずは、柳生家の歴史についてのお話がありました。

「柳生新陰流のはじまりは、1500年ごろの戦国時代。流祖の上泉伊勢守藤原秀綱(のちの信綱)は、若くから剣術に長けており、新陰流という新たな流派を拓きました。その後、第二世・柳生但馬守平宗厳(のちの柳生石舟斎)が五男・宗矩とともに徳川家康に柳生新陰流の剣術を見せたことで、宗矩は徳川家の兵法師範となったのです」



将軍・徳川家康公へ剣技を披露したのがきっかけとなり、宗矩は「江戸柳生」の開祖に。二代目将軍の秀忠、三代目将軍の家光の師範を務める、幕府公認の剣術家になりました。(ちなみに、ドラマなどでもその名を聞く柳生十兵衛は、宗矩の嫡男にあたります)

一方、尾張藩では柳生石舟斎の孫である柳生兵庫助利厳(としとし)が初代藩主・徳川義直公の兵法師範(将軍に剣術などを教える役目)に抜擢されました。「尾張柳生」の開祖として、剣術を後世に伝えた利厳。利厳の教えを受けた義直公をはじめとする7人の尾張藩主は、柳生新陰流の宗家にもなりました。徳川家の藩主たちが新陰流の宗家を受け継いだのは、驚きです。



ここで、新陰流宗家の肩書きには「世」と「代」の二つあることにお気づきの方もいるのではないでしょうか。「世」とは印可の相伝を他姓の人物が受け継いだ者を含めて数えたものです。「代」とは嫡流(血統)の一子相伝をいいます。
つまり、徳川家などの柳生の血統ではない人が当主となった場合は「世のみ」、柳生家が継いだ場合は、「世と代がつく」のです。

現在の当主、柳生耕一厳信は「第二十二世」であり「第十六代」。その数字を見るだけでも、柳生新陰流の歴史がどれほどのものかわかります。




戦国、江戸、明治と時代を経て現在まで続く流派となった柳生新陰流。その教えは、剣術だけでなく精神的なものも含まれています。

刀の鍔にも刻まれている『天地人転』という言葉は、柳生新陰流の3つの特徴を表しています。

・性自然(せいしぜん)…自然に身を任せ、全身で刀を使うこと。「刀身一致」とも呼ばれ、この心があればどんな状況でも物事に柔軟に対応できます。
・転(まろばし)…心身ともに先入観を持たずに動くことを意味します。その精神が、相手を働かせて勝つ「活人剣」にも通じます。
・真実の人…柳生新陰流の極意を伝える人のこと。

3つの特徴の中で特に気になったのが「真実の人」でした。



「柳生新陰流では『兵法に五常(仁義礼智信)の心無き人に斬合極意伝えゆるすな』という言葉が言い伝えられています。この言葉が意味するのは、柳生新陰流を学ぶ人は真実の人であるべきという考え。つまり、真実の人でなければ、柳生新陰流を受け継ぐことはできないのです」と柳生先生。

人を思いやり、礼儀をもち、勉学に励む。現代を生きる私たちの精神にも、通じるものがあるのではないかと思いました。





その他にも、講座では、実際の斬り合いでの体の使い方も紹介。「相手に向かって身体を横に向けることで切られる面積を減らす」「相手よりも低い体制を保つ」など、より実戦的な動きを知ることができました。



身体と精神の教えを学んだところで、続いて演武鑑賞に移ります。生徒の皆さんは演舞会場となる本丸御殿の外へ。会場には演武の披露を聞きつけた一般客の姿もありました。
柳生先生は、先生と同じく紋付袴を身にまとった5人のお弟子さんとともに登場し、天守閣と本丸御殿を背景に観客に向かって一礼。いわゆる「御前試合」はこんな様子だったのかなと思いを馳せます。時代によって変化を重ねてきた剣技の形を披露していただきました。演武は二人一組で披露。お互いが一礼し、刀を構えた瞬間、空気が一変したのを感じました。



まずは「三学円乃太刀」。流祖の藤原秀綱が発案した形で、主に戦国時代に使われたものです。戦国時代は甲冑を着て戦うので、甲冑の隙間の小手を狙うものがありました。新陰流では入門後最初に習う形なんだとか。

その次に、「試合製法(相雷刀八勢)」が披露されました。素肌で斬り合う江戸時代に作られた、より実戦に向けた形です。



続いて「九箇之太刀(くかのたち)」と呼ばれる形。これは相手より先に仕掛け、餌を見せて相手を引き出しその動きをみて勝つ方法で、九という文字の通り、9つの形からなる刀法です。

演武の際、観客の中にはカメラやスマートフォンを掲げ、演武の様子を記録する人の姿も。真剣な眼差しが印象的でした。演武中に通りすがった人が立ち止まり、じっと見学する姿も見られました。

最後は「燕飛之太刀(えんぴのたち)」。こちらは六本の形で構成されており、柳生耕一厳信自ら型を披露してくれました。講義の時とはまた違う先生の雰囲気に、観客も息を飲みます。




技の最後には、柳生先生が刀を投げ、相手の動きを止めるものがあり、その俊敏で無駄の無い動きに、自然と拍手が起こりました。




柳生新陰流の教えと聞くと、戦いでしか活用できないもの、現代にはあまり応用ができないものなのではと勝手に思っていました。ですが、今回の講義のなかで「昨日の自分に今日の自分は勝つべし」「謙虚な心で日々向上に努めよ」など、今を生きる私たちにとっても大事な教えが柳生新陰流にはあり、教えの概念が剣術の形として何百年と受け継がれていることにとても感銘を受けました。




レポート:小林つぐみ
写真:齊藤美幸