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木曽の林業~伐木運材図会を中心に~

2021年01月09日

木曽の林業~伐木運材図会を中心に~の画像

今年も、名古屋城の「木」にまつわるお話をしましょう。

江戸時代、名古屋城や城下町をつくるために、今の長野県、岐阜県にまたがる、"木曽""裏木曽"の国産の木がたくさん使われました。
これらの地域の良質な木材は、日本全国から必要とされたもの。同時に、その乱伐を防ごうと尾張藩による管理がなされてきた歴史もあります。

2020年1月開催の講座から1年、今年は"木曽の林業"について、当時の様子を記した資料から紐解きます。
江戸後期の木曽、飛騨の林業技術を伝える「木曽式伐木運材図会」を中心に、木材がどのように木曽から名古屋へと届けられたのかをご解説いただきます。

また今回は長野県木曽郡木曽町の林業遺産「御料館」(木曽町有形文化財)から生配信!
城子屋初のオンライン配信。オンラインならではの現地の臨場感もお届けできればと思います。

日時

2021年1月9日(土)14時〜15時30分

会場

オンライン開催(後日、申込者にZoomのURLを送付。事前にZoomのインストールをお願いします)

講師

井上日呂登 / 林野庁中部森林管理局職員
木曽町教育委員会職員

料金

無料

定員

80人

申込方法

大ナゴヤ大学HP内のページよりお申し込みください。

当日スケジュール

13:30 Zoom開室
14:00 開始(導入)
14:05 御料館の紹介、オンラインツアー
14:20 木曽の林業〜伐木運材図会を中心に〜
15:30 終了

主催:名古屋市(名古屋城総合事務所)
企画・運営:大ナゴヤ大学
後援:木曽広域交流事業基幹委員会
協力:木曽町教育委員会

名古屋城を「学びの場」に、まちの歴史文化を学ぶ「城子屋」が、今年も開催されました。
テーマは2020年1月に開催された講座と同じく、名古屋城と「木」。城を築くには、多くの木材が不可欠です。ではその木はどこで育ち、どうやって運ばれてきたのでしょうか。

講座では、木と、木を育て、伐採し、運搬するまでといった、林業と運送の一連の流れをひもといていきました。今回の学びの場は名古屋城…ではなく、オンライン。城子屋では初めての、生配信での開催となりました。というのも、参加された皆さんにぜひ目にしてもらいたいものがあったのです。
それは、長野県木曽郡木曽町の林業遺産「御料館」。「御料館」のある木曽谷は近世時代、尾張藩所有の山林でした。時代が変わり、明治以降にこの一帯は「御料林(皇室所有の森林)」として管理されることに。「御料館」には、木曽の山林を管理する「御料局木曽支庁」が置かれていました。木曽の林業を知る上で外せない場所である「御料館」をはじめ、木曽の様子・空気感を画面越しにお伝えしたいとの思いから、これまでと趣向を変えての開催となりました。






今回の講座は2部構成。前半は、職員さんによる「御料館」の紹介とオンラインツアーです。現在ある「御料館」は、昭和2(1927)年12月に再建されたもの。旧館は同年5月の福島大火により焼失したそうです。アール・デコ様式の優美な造りからは、約半年で再建されたとは思えません。外観の、白と緑の対比に気品を感じます。



玄関には、「木曽五木」が並んでいます。「木曽五木」とは、木曽谷に自生する樹木の中でも、江戸時代に尾張藩が特別に保護していた「ひのき」「さわら」「こうやまき」「あすなろ」「ねずこ」を指します。城郭や社寺建築のために森林乱伐が起こり、尾張藩はこれらの良質な木材を守るための制度を設け、これに違反したものは厳しく罰せられたそうです。



木材産地ですから、もしかして再建の際には木曽五木が使われたのでは、と思われるかもしれません。ですが、使用されたのは当時としては珍しい、ヒッコリーなどの高価な輸入材。その背景は詳しく明かされていないものの、「大火によってまち一帯が焼けてしまったため、まず地元の人たちに地元木材を使ってもらって、まちを再興してもらいたかったのでは」という、職員さんの考察が印象に残りました。

ツアーでは、館内の様子も詳しくご紹介。長くこの地の林政の拠点として機能してきた「御料館」は、平成22(2010)年に木曽町の所有となり、同26(2014)年より一般公開を開始。今では御料林の歴史と森林文化を発信する拠点として、開放されています。
1階には「木育ルーム」があり、日頃から地域の子どもが地元の木材で作られた遊具で遊んでいるそうです。ツアー中も、近くに住むお子さんとその親御さんたちが(ソーシャルディスタンスは保ちつつ)わいわいと楽しんでいました。室内は木の匂いにあふれていて、思わず心が落ち着きます(配信だと、匂いまではお伝えできないのが残念…!)。



2階には資料・展示室が設けられていて、この地の林政の拠点だった当時の面影を色濃く残しています。資料室に置かれた木曽谷模型からは、木曽谷の起伏の激しさ、広大さが見て取れます。講座当日の朝、木曽福島へ向かう際、車窓の景色を見て「山を分け入っている」と感じたとおり、深い山の谷に位置するまちなのだとわかりました。



階段や照明、テーブルや椅子のひとつひとつに、繊細な技工があしらわれており、飽きることなくじっくり眺められます。壁や天井は漆喰で、しっとりとした質感が特有の温度感が感じられたのも印象的でした。



冒頭の解説を含め、約30分のツアーを終えたら、林野庁中部森林管理局職員の井上さんへバトンタッチ。江戸後期の木曽、飛騨の林業技術を伝える「木曽式伐木運材図会(以下、図会)」をもとに、木材がどのように木曽から尾張(名古屋)へ運ばれてきたのかを解説いただきます。



と、その前に。そういえば木曽で育つ木って、どれくらいまで育つんでしょう?そんな疑問を、井上さんはとある超有名アニメのロボット(ヒント:ロボットの名称は“G”から始まります。笑)を比較して解説してくださりました。ちなみに「ひのき」はロボット2機分(=30m)以上の高さまで育つそうです。お、大きい…!

そんな大きな木を、どうやって遠く離れた尾張の地まで運んだのか。図会では、伐採から造材、搬出・集材、運送、集積、海上輸送までの様子、各工程の仕事に携わる人の営みなどを上下巻にわたって紹介しています。
解説では、過去に記録された映像や写真もお見せいただきました。絵だけでは想像しづらかった場面に臨場感が加わります。


木を伐採する際は斧を使っていたのは「盗伐を防ぐため、音が大きい斧を使わせていた」という説がある、木を伐採したら切り株に梢を立てる「株祭り」を行っていたのは山の神へ感謝を示すため、深い山奥から木材を運ぶためにどのように河川を利用してきたのか…解説を通じて、鉄道や車のない時代に、さまざまな技術を生み出し、創意工夫しながら木を届けてきた歴史に触れました。



木材を切り、運ぶ工程においては、役割が細分化されていて、それぞれにその道のプロがいたそうです。特に印象に残ったのが、木材の上に乗り、竿を使って進む人の姿。その所作は軽やかです。でも、乗っているのは丸太。技術がなければ立つことだってかないません。相当な技術力が求められるのが分かります。
また、図会や映像には、急な川の流れを進む木材の様子、川面を埋め尽くすほどの木材が浮かぶ様子も記録されています。ダイナミックさもさることながら、重く大きな木材を扱うため、事故なども珍しくなかっただろうと容易に想像できました。

木曽川を進み、尾張の地にたどり着いた木材。図会では、いったん海へ出て、堀川を上り白鳥貯木場(現在、白鳥公園や名古屋国際会議場があるエリアです)に集められ、江戸や大阪といった、木材を必要とする地域へ海を渡って運ばれる様子までが描かれていました。



時代の移り変わり、技術進歩により、伐採には機械が使われ、木材輸送は陸運に切り替わっていきました。当時の様子を目にすることはできませんが、解説を通じて多くの人を介して木材がまちにもたらされ、発展に寄与してきたことがわかりました。まちは、その地域だけで発展できるものではなく、発展を支える人やものとのつながりがあって初めてかなうのではないか。そしてそれは、今の時代でも変わらないのではないかと思いました。


レポート・写真:伊藤成美