催し
イベントアーカイブ名古屋城と木のはなし 〜城下町の礎となった森と山守〜
2020年01月18日
江戸のはじめ、名古屋城と城下町がつくられる際、たくさんの木材が必要とされました。城と町に使われたのは、岐阜県の木曽と裏木曽で育った国産の木々。雄大な山々が育んだ良質な木が名古屋の礎になったのです。
こうした木を巡る関係から、江戸時代よりずっと名古屋と木曽・裏木曽地域は、強くつながってきました。戦国から江戸の築城ラッシュによって、一度は荒れた岐阜の森。その後、どのように蘇り、今はどのような状態にあるのか、歴史を紐解きながら、地域と地域の関わりについても考えてみましょう。
日時
2020年年1月18日(土)18時〜19時30分
会場
本丸御殿孔雀之間(名古屋城正門前で受付)
講師
内木哲朗 / 山守資料館 館長
料金
500円(別途、名古屋城入場料が必要)
定員
40人
申込方法
大ナゴヤ大学HP内のページよりお申し込みください。
当日スケジュール
17:30 受付開始(正門にて、受付後、本丸御殿に移動します。17:45までにお越しください。)
18:00- 授業スタート(趣旨説明)
18:05 山守 内木さんによるお話
19:00 本丸御殿見学
19:25 集合写真撮影、終了
主催:名古屋市(名古屋城総合事務所)
企画・運営:大ナゴヤ大学
名古屋城築城の際、大量の木材が必要とされました。その木材は木曽から来たということはよく知られています。
しかし、その詳細についてはあまり知られていません。築城に使われた木材が何処から来たのか、そこがどういう場所だったのかを解明する授業が行われました。
今回、お話しをして頂いたのは、中津川市にある「山守資料館」の内木さん。内木さんの先祖は享保5(1730)年から明治5年(1872)まで「山守」役を仰せつかっていた方です。資料館には史料が3万点保存されており、私設の資料館を通して山や森林に関心を持ってもらおうと尽力されています。
「山守」というのは、山と森を管理する役人さんのことを指します。内木さんの先祖は、世襲制で6代にわたって「山守」の職を務めました。息子は「山守見習い」となり、父が死ぬと「山守」を継ぐというシステムで、長年働いていました。年間200日超えの勤務で、現代でいう年収100万サラリーマン。造林育休計画や山の取り締まりなど、さまざまな業務がありました。
「山守日記」が山守資料館に保管されています。「山守」のことだけではなく、当時の人々の生活や女性陣が集まって武家参りに出てしまうなどのような当時の女性の様子がいきいきと描かれているそうです。史料解読等が研究家等で現在も進められています。
資料館がある中津川市加子母(旧加子母村)、その隣の付知、川上は古くから「濃州三ヶ村」と呼ばれ、豊富な森林資源がありました。「裏木曽」とも呼ばれています。名古屋城築城時にはここから大量の木材が伐り出されました。とりわけ川上村長坂の巣山から築城材の約7割を占める木材が伐り出されたということです。巣山とは、江戸時代、鷹の巣を保護して、その繁殖のために入山が禁止されていた山のこと。そのため、良質な状態の木材が揃っていたそうです。
木材を尾張まで運ぶ際には、両端を尖らせ、「どの種類の木材なのか、どこで切られたのか」などを木材に墨書し、谷へ落としていきます。その際には、字が上になるように、木材が持つ性質を活かして墨書していました。おだやかな川ではいかだを組むこともあったそうです。
裏木曽は、昭和9年室戸台風により山が荒れてしまいました。しかし、昭和20年代、ヒノキの天然林があることを理由に、非常に価値がある山として見直されました。
現在でも神事などの場合には、「三ツ緒伐り」(幹の三方向から穴を削り、3か所の切り残しを作り、木の底をくり抜いて木を倒す)という伝統的な方法を用いながら木を伐っているそうです。
全国の現在の山の80パーセントは戦後に植えられた人工林。この人工林は強風で倒れることがよく見受けられます。倒れる原因は根っこの深さの違い。人工林は根っこの生えが浅く、地上部と地下部のバランスが悪いという性質があります。
その他にも、天然林と人工林には例えば次のような違いがあります。
・人工林は一般住宅用、 天然林は文化財用に用いられる
・人工林の方が安価、 大量生産(生長が速い)
さまざまな用途に利用できるため、人工林のものの方が便利なように思えます。しかし、文化財用に使われる量に
供給が合わないという状態が続いています。
さらに、昔と今の木材の使われ方に注目してみましょう。
昔(自然林)自然の中で多種多様な木が育ち、その木を斧で伐る。
⇒川で木材を流し、周辺流域の建物に使われる⇒古くなると分解し、使える木はリサイクルされ、新たな建物に使われるなどする
今(人工林)同じ木材のみの苗木を植える
⇒チェーンソーで伐採
⇒製材所・工務店で加工/海外の木もやってくる
⇒古くなると潰され、ゴミになる
今(人工林)の方が汎用性は高いですが、再利用できる、地産地消できるという視点から昔(自然林)も良いように思えます。
裏木曽では江戸時代には「六十六年一周之仕法」という森林管理が行われていました。資源量から周期を割り出し、六十六年で裏木曽の山を一巡するよう計画的に伐採するという方法。森林を荒廃させずに村々の暮らしを潤すこともできるという、持続可能な森林資源の使い方です。
内木さんはこれと今の技術を使い分けて森林を守っていくべきだと仰っていました。
さらに、これからの課題について、内木さんは次の2点を挙げていました。
・天然木曽ヒノキは枯渇しているが、 生長するのには、200年かかる。文化財補修材料が少ない状況であり、 どうやって持続していくのか?
・幼少期から森林・山・木について 知る機会が現在減りつつあるため、森林を守っていくためには、 森に親しみを持つ機会を増やすと良いのではないか。
最後に、本丸御殿の存在を次のように内木さんは定義づけました。山を守ることが危うい状況下において、
名古屋圏の川、木、人が繋がっているということを体現する本丸御殿は木の良さ・木の哲学を発信できる施設として活用できるのではないか。
今回の話を聞いて、そういう見方も出来るとレポート執筆者自身も思いました。
講義のあとは、夜の本丸御殿を見学しました。今回見せていただいたのは、玄関と表書院。
講義を聞いた後で、木に着目して見てみると、天然ヒノキで造られたことによるきれいな状態の木目の凄さ、それが当たり前にある素晴らしさを感じ取ることが出来ました。
名古屋市と中津川市と合同で、「名古屋市民の森づくり」と題し、中津川市で植林・森林整備などを行うイベントが毎年9月に行われています。森づくりを実際に体感してみるといろいろな発見があるのではないでしょうか。
レポート:進藤雄太朗
写真:大野嵩明