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本丸御殿とは

本丸御殿の概要

かつて名古屋城の本丸には、天守閣の南側に本丸御殿がありました。この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物で、現在、国宝になっている京都二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧と言われていました。

勇壮な天守閣と優美な御殿が並び建つことで、名古屋城は城郭建築としての風格を形成しており、1930年(昭和5年)に国宝に指定されましたが、1945年(昭和20年)5月、空襲により天守閣、本丸御殿ともに焼失してしまいました。

戦後の復興にともない、1959年(昭和34年)に天守閣は再建されました。本丸御殿についても、江戸時代の文献のほか、多くの写真、実測図が残されており、在りし日の姿を忠実に蘇らせることが可能です。

年表

重要文化財について


竹林豹虎図(玄関一之間東側襖絵)

狩野派の絵師により描かれた障壁画。1,047面が重要文化財に指定。
名古屋城本丸御殿は、狩野貞信や狩野探幽など日本画史上最大の画派「狩野派」の絵師たちにより、部屋ごとに異なる題材で床の間絵、襖絵などが描かれ、絢爛豪華に彩られていました。戦災により本丸御殿は失われましたが、取り外すことができた襖絵や天井板絵などは焼失を免れ、今も大切に保管されています。そのうちの1,047面が国の重要文化財の指定を受けています。

狩野派芸術をよみがえらせるため、当時と同じ素材や技法を使い、ミクロ単位の作業を行う。
狩野派の絵師たちが、全精力を注いで描いた障壁画。その美と色彩感覚を現代によみがえらせるため、平成4年より、本格的な復元模写が進められています。忠実に復元するためには、当時の絵師が使っていた素材や技法を用いなければならず、そのため顕微鏡やコンピュータ、史料などで研究・分析。ミクロ単位の観察をもとに緻密な作業が行われ、江戸時代の絵師たちの感性とダイナミズムの再生に挑み続けています。

史料紹介

本丸御殿復元と名古屋城総合整備

動画

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