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堀・石垣の完成

慶長15年(1610年)閏2月下旬から、助役大名は、土工事(堀の開削、盛り土)に取りかかりました。各大名は、工期を守るだけでなく、他の大名に遅れをとらないために、幕府が示した基準をはるかに上回る資金と人員を投入しました。
また、土工事が進む一方で、石垣用の石材の調達も緊急の課題でした。岩崎、赤津や篠島など尾張、美濃、三河、伊勢の近在はもとより、遠く紀伊、摂津、播磨、讃岐(小豆島)、肥前(唐津)にまで及んだといわれています。
遠方で切り出された石は、石船とよぶ大きな船によって海路を熱田まで運びました。そこからの陸路は、修羅と呼ぶ木橇に石を載せ、丸太の上を転がしながら普請場まで何百、何千もの人夫が引いたと言われています。
各大名は、5月には普請場近くの石寄せ場への石の運び込みを終えています。
石引にまつわるエピソードがあります。石引きの途中、修羅から落ちた石は、落城につながると言って嫌いました。そのため、その石は石垣に使うことはなく、その場に放置したそうです。
また、加藤清正は、美しく着飾った小姓とともに大石の上に乗り、綱引きの人々をはやし立て、見物人に酒を振る舞ったと伝えられ、清正の石引きとして有名です。これは、大阪城築城の際の秀吉の故事に倣ったと言われ、秀吉を慕う清正の思いがうかがわれます。
普請場では、土工事が6月には出来上がり、休む間もなく石垣の基礎となる根石置きが始まりました。
そして、石垣は大勢の人夫を使ってまたたくうちに積み上がっていきました。積み始めから3ヶ月も経たない8月27日に、加藤清正は天守台を完成させています。
そして、他の大名の分担場所も順次完成し、12月には、本丸、二之丸、西之丸、御深井丸のほとんどの石積みが完了するという驚異的な早さでした。
大名は、普請が終わり次第帰国しました。加藤清正は、熊本への帰国の際、大坂城で豊臣秀頼に拝謁しています。名古屋城の普請を終えた清正の胸中はどのような思いで満たされたのでしょうか。

石垣

加藤清正石引きの図(尾張名所図会)

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