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二之丸エリア

二之丸エリア

  • 埋御門跡
  • 名勝二之丸庭園
  • 二の丸茶亭
  • 清正公 石曳きの像
  • 南蛮練塀(なんばんねりべい)
  • 藩訓秘伝碑
  • 那古野城跡
  • 東門

名勝二之丸庭園

名勝二之丸庭園の画像

歴代藩主が公私にわたって過ごした二之丸御殿の北側に設けられました。藩主が居住した御殿の庭園としては日本一の規模を誇ります。明治期に御殿とともに庭園も一部を除いて取り払われましたが、江戸時代後期の大規模な大名庭園として非常に価値ある遺構が残されていることがわかり、2018年(平成30)、庭園のほぼ全域が名勝として指定されました。

埋御門跡(うずみごもんあと)

埋御門跡(うずみごもんあと)の画像

二之丸庭園の西方に藩主脱出用の門が設けられていました。いざというときは、土塀の下方に造られた門をくぐって階段で空堀へ下りると、舟で水堀(御深井大堀)の対岸へ渡り、そこから逃走できるようになっていました。

那古野城跡

那古野城跡の画像

現在の二之丸にあったと伝えられる那古野城は、今川氏によって尾張への備えとして築城されました。1538年(天文7)頃に織田信長の父・信秀が城を奪うと、後に信長に譲ります。信長は1555年(弘治元)に清須城に移るまで、この城に住んでいました。

藩訓秘伝碑

藩訓秘伝碑の画像

初代藩主・徳川義直の著書『軍書合鑑(ぐんしょごうかん)』の巻末にある「王命に依(よ)って催さるる事」を記した碑。天皇を敬う勤王(きんのう)の精神を述べたものです。歴代藩主は藩訓として代々、守り伝え、明治維新では勤王派を表明しました。

青松葉事件の遺跡

青松葉事件の遺跡の画像

1868年(慶応4)、幕府を支持する佐幕(さばく)派弾圧事件が起こり、14名が斬首、20名が処罰されました。「青松葉(あおまつば)」とは、処刑された筆頭格の重臣・渡辺在綱(ありつな)の呼び名に由来します。

加藤清正石曳きの像

加藤清正石曳きの像の画像

石垣づくりの名人とされた加藤清正は、名古屋城築城の際、最も重要な天守台の石垣を担当しました。彫像は大石に乗り、石の運搬を指揮する清正。美しい扇の勾配を描く天守の石垣は、石垣構築技術が完成の域に達したことを示しています。

南蛮練塀(なんばんねりべい)

南蛮練塀(なんばんねりべい)の画像

二之丸北面に一部現存する土塀。他の土塀とは構造が異なり、柱や厚板を用いず、粘土と砂利を石灰や油で練り固めて強固に造られています。鉄砲を撃つために鉄砲狭間(てっぽうざま)だけが円形に開けられていました。