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名勝名古屋城二之丸庭園の追加指定について

 国の文化審議会は平成29年11月17日(金)に名古屋城二之丸庭園の名勝区域を追加指定することについて文部科学大臣へ答申をしました。

栄螺(さざえ)山(南西より撮影)

北園池(南西より撮影)

 名古屋城二之丸庭園は、江戸時代の歴代藩主の公私の居所であった二之丸御殿の北側に造営された庭園であり、愛知県下で最初に(昭和28年)国の指定を受けた名勝庭園です。

名勝名古屋城二之丸庭園の概要

 元和6年(1620)ごろ、初代藩主徳川義直(よしなお)が整備した庭園は儒教(じゅきょう)の影響を色濃く映したものといわれており、その後、文政年間(ぶんせいねんかん)(1818~1830)十代藩主斉朝(なりとも)により大きく改修されました。現在の東庭園まで区域が拡張され、茶屋を伴う庭園や園池等が設けられており、この時期に最も隆盛(りゅうせい)を迎えたものと考えられています。なお、この時期の庭園を描いた絵図として、『御城御庭絵図(おしろおにわえず)』(名古屋市蓬左文庫蔵)が残されています。
 明治期になると陸軍省の所管となり、二之丸御殿とともに庭園も取払われて、跡地に兵舎が建設されました。幸いにも、庭の核心部である北西部分は残され、その南側に新たに前庭が整備されました。
 庭園は、豪壮(ごうそう)な石組みや急峻(きゅうしゅん)な地形を表現する特徴が見られ、前庭を含めて昭和28年(1953)に、名勝に指定されています。

追加指定区域(北西より撮影)

追加指定区域(御茶屋霜傑(そうけつ)跡)

発掘調査と追加指定

 これまで名古屋市教育委員会等により行われた発掘調査の成果から、名勝区域内においては、権現山ごんげんやまに建てられた建物跡や鳥居礎石、園路飛石、築山の園路等が確認され、名勝区域外においては、御茶屋跡、奥御文庫基礎、園路の延段、池に架かる橋の橋台、庭園を区切る塀の礎石等が確認されています。
 精緻せいみつに描かれている『御城御庭絵図』や『尾二ノ丸びにのまる御庭之図おにわのず』(徳川美術館蔵)と発掘調査成果を照合すると、過去の調査成果も含め、名勝区域内外に関わらず、二之丸庭園全体として庭園を構成する要素及び位置関係等がよく一致することが確認され、これらの絵図が庭園のかつての姿を極めて忠実に描写していること、二之丸庭園全体にわたって絵図に描かれた地物が遺構いこうとして保存状況良く残されていることが明らかとなりました。
 史資料調査や発掘調査、それらの成果の照合から、二之丸庭園は『御城御庭絵図』や『尾二ノ丸御庭之図』等の絵図に描かれた世界が忠実に再現された、藩主の御殿に隣接する庭園としては、全国的に残存例の少ない遺構で、江戸時代後期の大規模な大名庭園の遺構として傑出けっしゅつした事例として重要であり、その芸術上の価値及び日本庭園史における学術上の価値も高いことが判明しています。今回名勝区域を拡大追加指定し、江戸時代及び一部明治時代の価値ある庭園を含む二之丸庭園全域を保存修復・整備をはかることとなったものです。このことは、尾張地域ひいては日本の大名庭園文化を保存・継承していくうえで重要な役割を果たすことになるものと期待されています。

名勝指定区域図

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